「善なる神様は、悪なるサタンを先に打つことはできません。善なる神様の愛の本質世界に、先に打てる原因、動機がありません。怨讐に対してまでも、ために生きなければなりません」(天一国経典『天聖経』125ページ)
安倍晋三元首相の銃撃事件以降、家庭連合へのさまざまな誹謗中傷がメディアを通して流されてきましたが、家庭連合が「反日」であるというレッテルには、信徒の誰もが違和感を覚えたことでしょう。あまりにも現実からかけ離れた論点だからです。
真のお父様の自叙伝のタイトルは「平和を愛する世界人として」、真のお母様の自叙伝のタイトルは「人類の涙をぬぐう平和の母」です。平和世界を追い求める神様の摂理において、「怨讐」の二文字があってはなりません。
人間始祖の堕落以降、神様が、怨讐の血統圏にある人類を再びわが子として取り戻そうとされてきた救援摂理歴史は、親として、怨讐のひとかけらも残すことのない愛と犠牲の道のりでした。真の父母様は生涯を通して、正に神様が人類を一人残らず取り戻そうとされる「天の父母様」であることを、私たちに実体で見せて教えてくださいました。
「怨讐と言える相手を許し、逃がすというのは、簡単にできることではありません。既に心からすべてを許し、怨讐の顔を見ながら、そこに神様の顔を見いだそうという努力をしていない限り、実行できないことです。怨讐を怨讐として考えず、むしろその人のために祈り、許すこと。これは、『自分がない生活』をしていてこそ、可能なことなのです」(『人類の涙をぬぐう平和の母』300ページ)
真の父母様の教えの核心は、「怨讐を愛し、ために生きる」ことです。天の父母様(神様)を迎えて共に生きる者の辞書から最初に消さなければならない文字が、「怨讐」です。なぜなら、子女が互いに恨みを抱き、憎しみ合う姿ほど、父母にとって悲しいものはないからです。父母の悲しみの涙があるところに、「平和」は永遠にありません。
真のお父様は、悲惨な歴史を経てきた韓民族に対してさえも、以下のように語られます。
「韓民族は、今まで自分たちが愛するものをすべて奪われました。日本統治時代には大切な国を奪われ、続いて国土が真っ二つになり、愛する父母、兄弟たちと別れなければなりませんでした。そのため、朝鮮半島は涙の地になりました。しかし、今は韓民族が世界に向かって泣いてあげなければならない時です。これからは、自分たちのために泣いていた時よりも、もっと真摯に、切実に世界のために涙を流さなければなりません」(『平和を愛する世界人として』313ページ)
〝反日思想を教育する頭目〟と揶揄される真のお母様も、以下のように語られています。
「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。(ヨハネによる福音書一四章一八節)私はこの聖句が、自らの歩んできた道を一言で表現している言葉の一つだと思います」(『人類の涙をぬぐう平和の母』180ページ)
「通訳を使えばはるかに簡単だったでしょうが、私は日本語で書かれた講演文を、最初から最後まで、完璧に消化して伝えました。日本国民を孤児にしないため、徹底的に準備したのです」(同182ページ)
一九九二年、真のお母様が日本で講演されたとき、終始きれいな日本語でスピーチされ、誰もが驚嘆しました。過去の歴史で怨讐の日本であっても、人類の母として、日本人一人一人の魂に届くように、一か月間、日本語の特訓をして、愛のみ言を贈ってくださいました。
真の父母様の生涯のどこを切り取っても、「怨讐」を動機とした言葉も、行動も見つけ出すことはできません。むしろ、怨讐の恨みを解き、愛の関係性の回復のために全てを投入してこられました。その愛と犠牲の生涯に真実を見た者たちが、少しでも似た者となりたくて、そこにこそ真実の幸福があると確信し、信仰の道を選択してきました。
家庭連合の信徒に実際に触れた方であれば、そこに反日の香りなど一切、感じないことは、誰でもお分かりいただけるはずです。
しかるに、なぜ家庭連合に「反日」とのレッテルを貼るのか?
そこには、家庭連合の解散をもくろむ反対勢力が、千載一遇のチャンスと見て、メディアを最大限に活用しながら、ゆがんだ情報を垂れ流しているからにほかなりません。
あるいは、心の奥底に「怨讐」の二文字を忍ばせ、その臭気から抜け出すこともできず、父母の愛への強い不信に支配されているからでしょう。
すでに天の父母様が安着される時を迎えています。父母の心情に生きる息子・娘として、誇り高く家庭を愛し、日本を愛し、世界を愛する、「平和を愛する世界人」を目指して前進してまいりましょう。