み旨の担い手として立ち上がる二世圏に

(方総会長が辞任されたため、このメッセージがここでの最後のメッセージになります)

 十月二日、千葉・浦安の一心特別教育院で、「天の父母様聖会 世界平和統一家庭連合創立六十四周年記念表彰式」が行われました。記念の辞に立った天の父母様聖会の方相逸・神日本大陸総会長は、二世たちを深く愛し、願いと期待を寄せていらっしゃる真のお母様のごようすを証ししたうえで、「一世、二世、三世が世代を超えて固く結束し、天のみ業を証ししてまいりましょう」と呼びかけました。(文責・編集部)

教会の発展のために完全投入を
してくださった先輩方に感謝

 皆さん、こんにちは。きょうはたくさんの方が、これまでの功労に対して表彰を受けることができました。本当におめでとうございます。(拍手)
 とりわけ三十三年以上の牧会者として、「真の父母賞」を受けた皆さん。これまでのご尽力に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。(拍手)「真の父母賞」は、三十三年の公的な歩みを称え、真のお母様が三年前に特別に定めてくださった賞です。皆さんにとって、人生で最も誇れる宝物になるのではないでしょうか。
 日本家庭連合は、一九五九年十月二日の創立から六十四年の歴史を経てきました。日本人で初めて四百三十双の祝福を受けた久保木修己・初代会長夫妻をはじめ、四十三双、七七七双、一八〇〇双、六〇〇〇双の祝福を受けた先輩方は、正に命懸けで、私たちの教会の発展のために完全投入をしてくださいました。深く感謝申し上げます。皆さん、先輩方に大きな拍手を送りましょう。(拍手)
 このたび、日本の二世たち約六千人が訪韓し、「神日本二世圏総会」(9月17日、HJグローバルアートセンター)に参加しました。韓国と台湾からの兄弟姉妹が加わった約七千人が、おそろいの白いシャツに身を包み、真のお母様をお迎えしたのです。お母様にお会いできた喜びにあふれ、清らかな涙を流す彼らの姿は、あまりにも美しく感動的でした。
 真のお母様も、二世たちを前にして、うれしくてうれしくて、しかたがないというごようすでした。お母様が大会で講演をされるときは、五分から十分くらい前に会場に来られるのが普通ですが、今回は、三十分前には来られていました。そして、「いつ始まるの?」「私は、いつ出ていけばいいの?」とお尋ねになるのです。わくわくされている気持ちがはっきりと伝わってきました。

周囲から心配の声が上がる中、
会場に来てくださったお母様

 訪韓した六千人をはじめ、全ての二世たちは日本家庭連合の宝物です。もちろん、一世の皆さんは宝物ではないという意味ではありません。(笑い)もし、二世たちが皆、教会から離れてしまったとしたら、家庭連合の歴史は一世の世代で幕を閉じてしまいます。逆に、二世が立ち上がれば、一世の積み上げた功績は引き継がれ、三世へとバトンタッチされていくのです。二世たちは、日本家庭連合にとっては言うまでもなく、天の摂理においても、極めて重要な立場にあると言えます。
 二世圏総会の準備に当たり、実務担当者から「三千人であれば、問題なく集まることができます」と報告を受けました。率直に言って、インパクトに欠けると思いました。日本家庭連合を取り巻く〝重苦しい空気〟を吹き飛ばし、真のお母様に希望を感じていただくためには、三千人では足りないと感じたのです。それで私は、「一万人を目指しましょう!」と激励しました。そして、参加者の見込みは、三千人から四千人になり、四千人から五千人になりと、どんどん増えていったのです。
 韓国・清平で日本人食口の「特別修錬会」が継続して行われており、私は毎回、講話のために清平を訪れていました。そのたびに、二世圏総会の参加者がどのくらいになるか、真のお母様にご報告に伺ったのです。お母様は、最初に三千人と聞かれたときは、「ああそう。三千人来るんだね」とおっしゃり、それほど心を動かされているようには感じませんでした。しかし、四千人、五千人と増えていくと、「本当なの!」と驚かれ、いよいよ六千人を超えると、目の輝きが変わったのです。
 二世圏総会の会場は、HJグローバルアートセンターになりましたが、真のお母様が登壇されても大丈夫なのか、世界本部ではずっと議論が交わされてきました。お母様に危害を加えようとする人物が入り込む可能性がゼロではないと心配の声が上がったのです。
 折あしく、二世圏総会の前に行われていた大学生の修練会「ジャパン・トップガン・カレッジ二〇二三」(43ページに関連記事)のようすが隠し撮りされ、日本のマスメディアで報道されてしまいました。タイム・スケジュールまで明かされたことで、世界本部、総裁秘書室にはピリピリした空気が漂い、「万が一のことを考え、真のお母様には映像を通してみ言を語っていただこう」という意見が大多数を占めたのです。
 そのような中、真のお母様が私に、「方相逸! あなたはどう思うの?」とお尋ねになったのです。私は、「お母様にグローバルアートセンターまでお越しいただけなければ、日本から六千人が来た意味がありません。万全の警備態勢で臨みますので、お母様、どうかご登場ください」と申し上げました。するとお母様は、「そうでしょう! 私が行かないと、何の意味もないでしょう。行きますよ」とおっしゃったのです。(拍手)
 真のお母様は二世たちを本当に愛しておられます。皆さんには申し訳ないですが、一世たちが六千人集まっていたとしたら、映像を通してみ言を語られたかもしれません。(笑い)お母様の二世たちに対する思いは格別なのです。

国のため、世界のために
尽くすことを願われる二世たち

 皆さんも各教会で、二世圏総会に参加した二世たちの証しを聞いたことと思います。私は、九月二十三日に北海道の帯広市近郊で行われた「二〇二三神日本天運相続孝情奉献聖火式」(72ページに関連記事)に参加し、式典のあとに北海道の二世たち九人から証しを聞きました。どの証しも感動的で、私はずっと涙を流していました。
 二世圏総会のときに強く印象に残った場面があります。それは、ステージ上のスクリーンが中央で左右に分かれ、そこから真のお母様が登場されたときのことです。参加者の中に、「お母様が動いている!」と言って感激する人がいたのです。恐らく参加者の半分は、お母様に直接、お会いしたことがなかったと思います。家庭祭壇や教会で目にする真尊影が、彼らにとってのお母様でした。ですから、歩いて近づいてこられるだけでも新鮮な驚きだったのです。
 彼らの反応を見て、全ての二世たちを真のお母様に会わせてあげなければならないと思いました。私たち一世が責任を持って、二世たちがお母様との間にある心の距離を縮められるように知恵を絞り、お目にかかる機会を得られるように努めていきましょう。
 真のお母様は、集った二世たちを前に、「ピュアウォーター」について語り、教会から足が遠のいている二世たちが戻ってこられるようにしてほしいと訴えられました。そして、会場にいる二世たちのことを天の「精鋭部隊」であると語られたのです。それは、日本の救いのため、世界の救いのために生きる特別な存在であるという意味です。
 真のお母様は、二世たちが国のため、世界のために尽くすことを切に願っていらっしゃいます。
 古い先輩家庭は、祝福を受ける条件として三年間の伝道活動があったと思います。それが家庭連合の伝統でした。しかし、真の父母様の勝利圏によって祝福が世界化し、恩恵が拡大していく中で、伝道活動や信仰の子女の数などが祝福を受ける条件として求められなくなり、二世祝福においても伝統を相続することができないまま進められてきたのです。
 そこで来年から、祝福の希望者には一年間の海外での宣教活動を推奨することになりました。真のお母様の二世たちに対する願いや期待を深く受け止め、指導に当たってくださるようお願いします。

真のお父様と食口たちが
苦労を共にした韓国の草創期

 日本家庭連合の創立記念日である一九五九年十月二日は、初めて礼拝が行われた日です。
 韓国家庭連合は、一九五四年五月一日に創立されました。草創期に、真のお父様はイエス様や統一原理に関してお話をされることが多かったと思います。
 当時、真のお父様をお支えして原理講義を担当していたのが、劉孝元・初代協会長です。劉孝元協会長は脊椎カリエスを患って体が不自由であるにもかかわらず、三年八か月、毎日講義をしました。一日に十八時間したこともあります。時には、床に横になりながら紙に書いて講義をしました。お父様は、劉孝元協会長が講義をするときは、屋根裏部屋で講義を聞きながら、涙の祈りを捧げていらっしゃいました。
 真のお父様は、天の摂理の進展を願い、一九五七年七月一日から七日断食をされました。そのとき、韓国の食口は皆、お父様と心情を一つにするために七日断食を行ったのです。
 今後、私たちが真の父母様と共に断食をするという機会は訪れないかもしれません。ただ、真の父母様と心情を一つにして取り組んだという体験を、私たち一人一人が一つでも多く持てることを願うばかりです。
 一九五五年七月四日に真のお父様は拘束され、同月十三日に西大門刑務所に収監されました。梨花女子大学と延世大学に端を発する問題により、政府とマスメディアによる総攻撃を受けたためです。今、日本家庭連合が置かれている状況と同じです。お父様は世の中から完全に孤立した立場でしたが、罪として引っ掛かるものは何もないので、無罪で釈放されることを確信していらっしゃいました。一切恐れることなく、堂々と刑務所に入っていかれたのです。
 そのような真のお父様ですが、心を痛め、忘れられない思い出があると語られたことがあります。お父様と共にみ旨を歩んできたある女性が、西大門刑務所を訪ねてきて、お父様に向かって、「神の息子であり、神が愛しているならば、なぜ監獄に入るのか。文さん、まだ気がつかないのか」と罵倒したのです。その人は、すでに他の教派に移り、統一教会に激しく反対していたといいます。お父様は、どれだけ悔しい思いを抱かれたことでしょうか。
 西大門刑務所から釈放されたのは十月四日です。また、興南の収容所から解放されたのは一九五〇年十月十四日です。この日を記念するために一九八二年に六〇〇〇双の祝福式が挙行されました。六千年に及ぶ神の摂理を象徴するかのように世界八十五か国から集った青年六千カップルを祝福してくださったのです。
 十月は、七七七双(10月21日)、六五〇〇双(10月30日)の祝福記念日もあり、「解放と祝福の月」と言われます。

日本の誰よりも、日本人を愛する

 六・二五動乱(1950年)が収束し、落ち着きを取り戻した頃のことです。ソ連(当時)、中国、北朝鮮が連携して日本の共産化をもくろんでいました。真のお父様は、そのような動きに対抗するため、一刻も早く日本に宣教師を送らなければならないと考え、崔奉春(日本名・西川勝)宣教師に使命が託されることとなりました。
 一九五八年五月三十日、真のお父様は、韓国・公州の甲カプ寺に崔奉春宣教師を呼び、裏山の小道を一緒に散歩されました。その小道は十分もかからずに歩けてしまうところですが、そのときは二時間かかったといいます。二本の松の木のもとで、お父様が、「あなたはこれから日本に行くんだ」と告げられたとき、崔奉春宣教師は、「はい。分かりました。命を懸けて行ってまいります」と即答しました。そこには少しの迷いもありませんでした。
 日本と韓国は一九六五年に国交が正常化されました。ですから、一九五八年当時、日本に行くということには危険が伴うのは明らかでした。それでも、真のお父様は天の摂理の将来を見据え、アジアで重要な位置を占める日本を守るために、宣教師の派遣を決断されたのです。同年七月十五日、崔奉春宣教師は密航船に乗って韓国を出発しました。
 真のお父様は、自叙伝でこのように証していらっしゃいます。
 「崔奉春は決死の覚悟で密航船に乗り込みました。私は、彼が無事に海を渡ったと知らせてくるまで、他のことは一切せず、小さな部屋に籠もって座り、ひたすら祈り続けました。何も食べず、寝ることもしませんでした。
 ……崔奉春は、日本に到着すると、すぐに逮捕されてしまいました。……約九カ月間の刑務所生活の後、思い詰めた彼は、韓国に帰るくらいならむしろ死を選ぼうと腹を決めて、断食を始めました。食を絶つと熱が出ました。警察は治療が必要と判断して本国送還を延期し、入院させたのですが、彼は隙を見て病院から逃げ出しました。こうして生きるか死ぬかの苦労を一年半ほど続け、崔奉春が日本で初めて礼拝を行ったのは一九五九年十月のことでした」(『平和を愛する世界人として』169ページ)
 真のお父様は崔奉春宣教師に、韓国人として、日本の誰よりも日本人を愛するように願われました。日本人が、「日本を誰よりも愛したのはこの宣教師です」と証言してくれるまで、愛を投入し続けるのだと訴えられたのです。
 それから約四十年を経た一九九八年一月一日、真のお父様は、日本が「エバ国家」から「母の国」になったことを宣布されました。現在、日本には二百八十三の教会があります。一人の宣教師が命を懸けてまいた愛の種が、このように実を結んだのです。
 また、一九五九年一月には、米国に宣教師が派遣されました。
 イエス様が地上に来られた当時、世界的版図を築いていたのがローマ帝国でした。人類の真の父母を迎えた現代において、ローマ帝国と同じような位置にあるのが米国です。真のお父様は、「大国アメリカの危機を早く収拾しなければ韓国は滅びる」(同170ページ)と訴え、弟子の中でいちばん優秀であると言われた金永雲宣教師(梨花女子大学文理学部社会事業科・元副教授)を派遣されたのです。そのようにして、世界的な宣教基盤の足がかりを築いていかれました。
 崔奉春宣教師や金永雲宣教師を通して学ぶことは、天の父母様(神様)と真の父母様と完全に一体化してアベルの立場に立つことの大切さです。皆さんはまず、サタンに対抗して闘うことができなければならず、サタン世界から自らを分立できなければなりません。そうしてカインの立場にいる人々を連れて神様の愛の圏内に入っていくのです。

真の父母様の祝福によって授かった
神の血統を必ずつないでいく

 二世たちの多くは、日本の二世圏の基盤がどれくらいあるのか知りません。偏向報道の影響などもあって、家庭連合の信仰に自信を持てず、寂しい気持ちを抱えながら日々の生活を送っている人もいるでしょう。
 ある牧会者が、高校三年の娘を二世圏総会に送ったそうです。彼女が現地に着くと、驚くことに、学校のクラスで仲の良い友達がそこにいたのです。「えっ、あなた二世なの?」「あなたもなの?」と顔を見合わせました。うれしさが込み上げてきて、「二世だったんだ!」と言いながら抱き合って喜びました。それで話は終わりませんでした。会場に部活の一年生の後輩もいたというのです。
 そのような出会いがいくつもあって、二世圏総会は二世たちの同窓会のような雰囲気だったそうです。多くの参加者が、「私の仲間がこんなにもたくさんいるんだ!」と勇気づけられたのです。
 真のお母様と時間、空間を共にし、心を通わせることができたのは、彼らの人生で最大のニュースになったはずです。今後の信仰生活を支える力を得たのは間違いありません。そして、お母様が退場間際にダブルピースをされたのですが、それが特に、二世の女性たちの心に残ったようです。失礼に当たるのかもしれませんが、「お母様、かわいい」と言う二世たちもいました。今回、訪韓した二世たちを中心に、ダブルピースはしばらく、はやりそうです。
 真の父母様が深く愛される二世たちを、私たちはこれまで、どのくらい真剣に守ろうとしてきたでしょうか? 真のお父様は、「愛」と「生命」と「血統」のうち、いちばん大切なものが「血統」だと教えてくださいました。一般の人に三つのうちどれが大切か尋ねたら、「愛」や「生命」と答えるでしょう。
 私たちは真の父母様によって祝福を受け、神の血統を授かりました。その血統は二世に受け継がれましたが、二世たちが立ち上がらない限り、三世に受け継ぐことはできません。そうなれば、家庭連合は衰退していかざるをえないでしょう。祝福子女こそ、家庭連合の力であり、神の血統は、二世から三世、三世から四世へと受け継がれ、拡大させていかなければならないのです。
 私たち一世は、天の父母様と真の父母様に侍り、完全投入でみ旨に向かってきました。それと同じように、二世たちに対して関心を持ち、彼らのために投入していきましょう。
 きょうのような重要な式典では、私や田中富広会長が真の父母様に花束を贈呈してきました。今回は、「二世の中から選んで花束贈呈をしてもらいましょう」と提案し、二世圏総会の準備のために奔走した、未来人材局の本山勝道局長夫妻にお願いしました。真の父母様がこの場に来られ、受け取ってくださったと思います。また、最後の億万歳については、新潟エリアの影山権龍・新潟家庭教会大教会長にお願いしました。(拍手)

真の父母様に会いたくて
しかたがないという心情世界

 真のお父様が西大門刑務所に入られたとき、食口たちはお父様に会いたくてしかたがなくて、毎日、面会を希望したといいます。刑務所の入り口には何十人、何百人が列を成して待っていたのです。一日に一人しか面会がかなわないということで、面会証をもらうために入り口で徹夜をしたそうです。ある食口は、三日間徹夜して、やっと面会証を受け取りました。お父様にお会いできると思うだけで涙があふれ、泣きながらお父様と面会をしたそうです。
 これが一世の皆さんが通過してきた心情世界でしょう。二世たちの多くは、そのような世界をまだ味わっていないのではないでしょうか。真の父母様と二世たちの心情世界をつなげるために、私たちはもっと努力していかなければなりません。彼らが、真のお母様に会いたくてたまらないと、三日間徹夜するような心情世界を抱くようになったら、お母様はどれだけ心強く感じられるでしょうか。六十四周年を迎えた記念日に、もう一度、私たち一世が二世たちをよく守り、二世が三世を守り、三世が四世を守る伝統を築いていけるよう願います。
 文科省の質問権の行使に対して、家庭連合の回答が不十分だということで、文科省から過料を科すよう求められたり、宗教法人の解散命令の請求が裁判所に出されたりしたとしても、恐れることはありません。私たちが天の父母様と真の父母様と一つになっていれば、必ず乗り越えることができます。一世、二世、三世が世代を超えて固く結束し、天のみ業を証ししてまいりましょう。

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