ときめきと喜びに満ちた歩みを

一月二十七日、東京・渋谷の松濤本部で、田中富広会長を主礼に迎えて、真の父母様ご聖誕日の敬礼記念式が挙行されました。記念説教に立った田中会長は、私たちが、人類の真の父母を迎えることのできた喜びを胸に、ために生きる実体、幸福の実体になることを強調。真の父母様への感謝と天の摂理成就への決意を込めて祝祷(27ページ)を捧げました。(文責・編集部)

本文

摂理的意味が込められたご聖誕日

 真の父母様のご聖誕日をお迎えしました。皆さん、おめでとうございます。直接、真の父母様にお伝えできない寂しさはありますが、あふれる感謝の思いと、真の父母様を地上に誕生させてくださった天の父母様(神様)への感謝の思いを込めて、大きな拍手をお贈りしましょう。
 人類の真の父母となられる、天の独り子、独り娘が、同じ誕生日であることが、どれほどありがたいでしょうか。愛してやまないおふたりのご聖誕を一緒に祝うことのできるこの日に心から感謝します。
 真の父母様は、ご年齢が二十三歳、離れておられます。真のお父様の聖和以降、真のお母様が地上摂理の先頭に立ち、今なお、私たちを牽引してくださっています。そのお姿を思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。摂理を引っ張ってくださるお母様に感謝しながら過ごす、貴い一日にしていきましょう。
 真のお母様は、八十歳になられました。「八」は末広がりを意味し、原理的に見ると「出発数」です。天苑宮天一聖殿を奉献する今年、お母様が八十歳を迎えられたことを心からお祝いします。その祝賀する気持ちを抱きながら歩む二〇二三年にしていきたいと思います。
 真のお父様は、百三歳になられました。先日、真のお母様が、文情娥様の誕生百三日を祝い、孝情奉献式を行われました。かつて、祝福二世は誕生百日を祝っていましたが、二〇〇〇年六月一日に、お父様が宣布されて以降、百三日を祝うようになりました。
 その日、真のお父様は、「お母様が南米とヨーロッパ、カナダを巡回講演したことで、第二次のノアの洪水四十日審判期間を勝利し、新たに定着しました」と語り、真のお母様とお父様が同じ位置に立たれたことを祝われました。
 そして、二世たちは誕生百日ではなく、百三日で祝うように宣布し、二世たちが、ノアの洪水審判以降に着地した船に乗って、真の父母様と一つになっていれば、サタンが侵入する条件がないと説明されたのです。そのような貴い意義のある百三数にも思いを巡らせ、二〇二三年を過ごしてまいりましょう。
 きょうは一月二十七日です。二〇〇一年のこの日、百三十五か国の青年代表二百十組が、国連本部第一会議場に集い、世界平和祝福式が挙行されました。改めて、さまざまな意味で、貴い数字が含まれたご聖誕日だと思います。

避けることのできない価値観の対立

 神様の六千年に及ぶ救援摂理。その結実は、真の父母を地上に迎えることです。その時点で、人類歴史は新しいスタートを切りました。すでに、私たちは新しい人類歴史に踏み出しているのです。
 真のお母様の自叙伝に、このようにあります。
 「永遠の生を生きるためには、真の父母に出会わなければなりません。たとえ死の道を行くとしても出会うべきなのが、真の父母です。歴史をすべて失い、後孫をみな失うことになるとしても、真の父母に出会えば、歴史を取り戻し、未来も取り戻すことができます」(『人類の涙をぬぐう平和の母』323ページ)
 私たちは、真の父母をお迎えした喜び、永遠の真理と出合った喜び、同じ時代圏に摂理の先頭に立つ喜びを抱いて生きていかなければなりません。真のお母様が年頭に語られた「ときめきと喜びと歓喜」に満ちた生活が、根づかなければならないのです。
 しかし今は、ときめきと喜び、歓喜を打ち砕くような試練も多くあります。現場を巡回すると、二世たちから「どうして私たちの教会は、こんなにも迫害を受けるのですか?」「真の父母様はメシヤなのに、どうしてこんなにひどい言われ方をするのですか?」「やっぱり教会に問題があるんですよね。火のない所に煙は立たないと言うし」などと言われます。
 当然、私たちに不足な点があれば、正面から向き合い、改善して、教会改革を推し進めなければなりません。一方で、私たちがこの地上に天国、天一国をつくろうとする限り、ぶつかるものがあるということを知る必要があるのです。私はその点についても、二世たちに伝えています。
 あの世の天国だけを追いかけるのなら、戦いはなく、抵抗なく行けるかもしれません。しかし、天の願いは、地上に天国をつくることなのです。
 世の中にはさまざまな価値観があり、とりわけ、ゆがんだエゴをベースとした価値観が蔓延しています。これは政界、法曹界、教育界、文化、芸術の世界、マスメディアなど、あらゆる分野に浸透しています。ですから、天から来る価値観との対立は避けられないのです。私たちはそのことをよく理解し、本気で地上天国をつくろうとする群れにならなければなりません。

幸福を実体で示せる者に

 『原理講論』の「総序」の冒頭に「人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている」とあります。
 思想や肌の色が異なっても、人間はみな、幸福を求めています。そこへの道を指し示すのが真理であり、私たちが授かった統一原理です。もし、統一原理が、人間が幸福に至る道を妨げる原因を明確にできないのなら、新しい真理とは言えないでしょう。
 では、どうすれば人間は幸福になれるのでしょうか。真の父母様はその生涯で、実にシンプルな教えを下さいました。それは、「ために生きる」ということです。自分よりも他者のために生きるほうが、はるかに喜びが大きい。ために生きる道だけが、永遠に変わらない幸福感、喜びの世界に通じるということを、真の父母様は実体で示してくださいました。
 私たちは今、天から、そして人類歴史から、課題を突きつけられています。「あなたは、他者のために生きることの喜びを実体で証せているのですか?」と。それは、真理に出合った私たちの宿命です。
 私は、現場で食口たちを前にすると、決まって、「皆さん、幸せですか?」と尋ねます。大体二、三人が「はい!」と答えてくれます。食口たちは皆、真の父母や真理のみ言に巡り合った幸せは感じていると思います。では、日常生活や教会との関わりの中で、幸せを実感しているでしょうか? これこそ、皆さんの内面に突きつけてほしい命題です。「この幸福感は本物である」と、実体で示すことができてこそ、私たちは、万民の前にアベル圏として立ちうるのです。
 真の父母様は、苦難と試練の中で天の摂理を牽引していかれました。皆さんは、その生涯を不幸だったと見ますか? それとも、幸福だったと見ますか?
 真の父母様は常々、「振り返れば愛であった」と語られます。皆さんは、み旨の中で多くの試練に遭遇しながらも、そのように言い切れるでしょうか。
 ヴィクトール・フランクルという作家がいます。ユダヤ人で、ナチスによって三年間、強制収容所に収監されました。その経験を基に記した『夜と霧』という書籍に、幸福は求めて得られるものではなく、ただひたすら、他者のために生きているときに、ふと、われ知らず幸福の中にいることに気づくものだと記されています。この言葉が、私の心に焼きついて離れません。〝幸福は、求めれば求めるほど逃げる。しかし、ひたすら他者のために生きているときに気づくことができる。これが幸福だ!〟。正に、真の父母様の生涯を表すかのような言葉です。私は、この言葉を改めて心に留め、幸福とはいかなるものか追求しなければならないと感じています。
 新法、いわゆる「被害者救済法」が制定されました。しかし、「この新法では誰も救われない」と批判する人も多くいます。「制定後に被害に遭った人は救われても、過去の被害者は救われないじゃないか!」と言う人がいるかと思えば、ある大学教授は、このように論じます。
 〝新法では、不安とか恐怖を与えて献金させたら犯罪になるとしています。しかし、統一教会(家庭連合)の信者は、不安や恐怖を感じていないのに捧げるのです。ですから、こんな法律では被害を防げません。いったん、足を踏み入れて洗脳されたら、あとはひたすら捧げる。そこには不安も恐怖もない。だから、救いの道は、入り口に人を連れていかないことしかありません。そのために解散させなければならないのです〟
 何という論理でしょうか。そこには、宗教心のかけらも見いだすことができません。反対派によって拉致監禁され、離教して家庭連合を批判するようになった元信者の言葉のみに耳を傾ける人々にとっては、喜びと感謝をもって信仰生活を送る私たちの行動や発想は、とても理解が難しいのだろうと思います。
 個人よりも家庭、家庭よりも氏族、氏族よりも民族、民族よりも国家というように、より大きな存在のために生きたときに、喜びは大きくなり、幸福感も高まります。この真実を、私たちが改めて体感していかなければなりません。
 私たちは、「あなたたちは、実体で何を示せるのですか?」と、長い間、問われてきたように思います。今こそ、その答えを示すべきときです。真の父母様をお迎えできたことへの感謝と喜びを胸に、ために生きる食口、祝福家庭、家庭連合の姿を万民に証していきましょう。

真の父母様が人類の父母として
永遠に残るために

 私たちには、真の父母と共に生きる者として歴史的使命があります。その使命が、真の父母と共に天の摂理を成就することであるのは言うまでもありません。それでは、百年後、三百年後に、地上に真の父母は生きていらっしゃるでしょうか? 真の父母と共に歩んでいる私たちは、この問いかけに、あまり重みを感じないかもしれません。それでも、百年先、三百年先に、真の父母が地上でどのような存在になるのかを、真剣に問う必要があるのです。
 いくら真の父母様の素晴らしい業績を書籍に記し、りっぱな歴史書を編纂したとしても、それは単に、歴史的な偉業を記録したものにすぎません。真の父母様を人類の父母として地上に残し続けられるかが問われているのです。
 きょう、私たちは真の父母様のご聖誕日を祝っています。真の父母を、父母として残せるのは子女だけです。父母を父母と思う子女の心情の中に、父母は残り続けるからです。単に父母の業績を称え、祝うだけでは、天一国は永遠に現れないと思います。
 「父母」という言葉は、父母自身が使うものではないというのです。それは、子女が使うものです。家庭において、「俺は、おやじだぞ!」とふんぞり返ってばかりいる父親は、悲劇の父親です。「おやじ」は、父親自身が使う言葉ではないというのです。それは、息子が使う言葉です。「お母さんの言うことを聞きなさい!」と命令する母親。それもおかしな言葉の使い方です。親が自ら、父母だと言わなければならないような家庭は、すでに悲劇が始まっていると言えます。
 子女が勝利してこそ、父母も勝利した位置に立つことができます。私たち子女が、父母を父母として敬い、父母の願い、父母の心情、事情を優先して生きたいという心情にあふれ、その心情が家庭に満ちるようになったとき、私たちの家庭に父母が定着しているということになるのです。真の父母が定着される基地は、あくまでも家庭です。真の父母が家庭に定着してこそ、国に安着し、天一国の基台となるのです。
 真のお母様は、母の国・日本を「神日本」と祝福してくださいました。神様を知るだけでは不十分なので、神様に侍る日本になるよう激励してくださったのです。そして、「神家庭」、神様に侍る家庭が拡大することを願われています。
 私たちは、天が本来、願われた家庭理想の実現に本気で挑戦していきましょう。そのとき、最も問われるのが、真の父母の安着だと思います。サタンは、血統を通して人類を支配してきました。真のお父様は、「心情は血統によって相続されます。したがって、天は血統を通して人類を奪い返すのです。これが祝福運動です」と指導してくださいました。
 全人類が、真の父母様から祝福を授かり、血統を通して天の心情に連結されなければなりません。私たちの後孫が、変わることなく、真の父母の心情を中心として生き続ける家庭的伝統を、今このときに強固に立てていくのです。
 「家庭連合時代」。これをただの言葉で終わらせず、その時代的恩恵を本気で証ししていきましょう。天が、この地上に送ってくださった真の父母様を、「私の父母」として迎え入れ、後孫に連結する家庭を目指す! 祝福家庭としてそのように深く決意する貴い一日にしていきましょう。

祝祷
天の威光を放つ輝きとなり、真の父母様に勝利の凱歌を捧げる者に

 天の父母様は、たった一組の真の父母を尋ね求めて、聖書歴史6000年を費やしてこられました。摂理の主人として天の召命に応えた預言者たちや選民たちの苦難の路程、また、あなたの独り子として十字架の道を余儀なくされたイエス様、そして、2000年にわたるクリスチャンの殉教史、さらに第3イスラエル選民として立てられた韓民族の苦難の道など、父母なる神様が、ただわが子を取り戻したい一心で牽引してきた人類救援の道が、こんなにも気が遠くなるような犠牲の道になるとは、一体誰が予想できたでしょうか? 彼らが、その理由も分からないままに蕩減歴史の中で流し続けた、血と汗と涙は、人類の真の父母の誕生という形で大きく実ることとなりました。
 しかし、その真の父母の誕生も、壮絶な霊的闘いの背景を越えてこられた結実であり、また、その使命の大きさの前に耐え難き試練と十字架を生きて越えてこられた真の父母様です。空を巻物にし、海を墨汁にして書いても書き切ることのできない苦難の生涯路程は、私たちに人類の罪の重さを改めて教えてくれます。
 今、人類歴史は、大きな分岐点を迎えています。1960年、天に対して真の父母として立たれたことを宣言された歴史的瞬間以降、偽りの血統圏で父母を見失った人類が、天の血統圏に帰る道がつくられました。正に、人類歴史に刻まれた奇跡の一点です。天の息子・娘として父母の懐に帰ることが許される祝福の恩恵は、今や、地上の全人類のみならず、霊界の億兆万の霊人に至るまで、限りなく広がる時代を迎えています。
 ただ、勝利された真の父母様の前に立つ、不足な息子、娘である私たちが、あなたの摂理の最も大きな足かせになっていることも自覚しています。一つの国も持たないままに真のお父様を霊界にお送りしてしまい、今、80歳を迎える真のお母様に、まだ摂理の重荷を全て負わせている事実を、どうやって悔い改めたらよいのか、時に絶望的な境地に追いやられます。
 この半年間、神日本において私たちが受けている試練などは、何の問題もありません。ただ、真のお母様のご心痛を思うと、あまりにもいたたまれない心情になります。「お母様、大丈夫です。心配なさらないでください!」と、いくら言葉を届けたとしても、やはり、親は親であり、母は母です。いや、むしろ親だからこそ痛む心情の世界があるのだと思います。日本の子供たちのことを思って眠ることもできない日もあると耳にするたびに、子女として、一日も早くお母様を解放してさしあげたいという思いでいっぱいになります。
 天の父母様! こんな不足な私たちを、あなたはまだ必要とされるのでしょうか? 私たちは知っています。摂理の主人は天の父母様であり、私たちを使うのも捨てるのも、決めるのはあなた自身です。天が私たちを必要とされる限り、天が私たちを用いる限り、私たちは全身全霊、完全投入でアベル圏としての使命完遂に邁進してまいります。
 今、神日本で展開される大きな試練を通して、国家を天の前に取り戻す大きな峠を迎えていることも切実に感じています。厳しい闘いではありますが、しかし、この間、大きな希望も与えられました。それは、最前線で闘う兄弟姉妹、食口一人一人です。
 空爆のような批判の前にも、天の父母様と真の父母様を慕い、頂いたみ言を握り締めて逆風に向かって耐え忍びながら、それでも一歩でも足を進めようとするその勇気に、天の父母様もきっと感動を覚えておられると確信いたします。食口は、正に現代の義人です。お母様は私たちに「あなた方が天の武器であり、天の宝だ」とも語られました。どんな試練に向き合っても、私たちは天の誇らしい武器となって、天の威光を放つ輝きとなって、勝利の凱歌を真の父母様と共に歌う、その瞬間を楽しみに、総進軍してまいります。
 これからの歩みに天の父母様の大いなる祝福があることを切に願いながら、そして、何よりも80歳を迎えられた真のお母様のご安寧を祈りながら、感謝と決意を込めてご報告いたします。