復帰の伝統と愛の原則

 「神様の作戦法は、どのようなものでしょうか。一人の人を取り戻すには、その一人の価値の分だけ打たれてこそ、初めて取り戻すことができるのです。これが天の摂理です。一つの家庭を取り戻すには、その家庭の価値だけのものを天が代わりに打たれてこそ、その家庭を奪ってくることができるのです。したがって民族を取り戻して立てるには、神様がそれだけの打撃を受けてこそ取り戻して立てることができるのです」(1959年2月1日)

 安倍晋三元首相が銃弾に倒れて以来、容疑者の犯行動機やその背景が検証・解明されないままに、メディアの論点は完全に当法人(旧統一教会)のバッシングにシフトされました。
 神と霊界を否定する共産主義思想を背景にした弁護士やコメンテーター、さらには人権派の仮面をかぶって登場する人たちに、今やメディア界は完全に踊らされています。
 「社会的に問題のある団体」と自民党議員との関連を畳みかけるかのように指摘されて、首相は「率直にお詫び申し上げる」と謝罪。さらに自民党の幹事長も、「仮に守ることができない議員がいた場合には、同じ党では活動できない」とまで発言し、当法人や友好団体との決別を迫るありさまです。
 このことを受けて、中立的な識者は、メディアの論点が過激に誘導されることに危惧を感じ、当法人への宗教差別であり、信教の自由を軽んじる愚行であると論陣を張り、現代の「魔女狩り」とまで揶揄しています。

 当法人は一九五八年に、たった一人の宣教師から始まりました。み言と霊性の貴い命の種が蒔かれ、今日まで多くの実りを刈り入れてきました。
 「個人は家庭のため、家庭は国家のため、国家は世界のため……」のビジョンに基づいて、多くの諸先輩が、祖国日本の救国救世に向けて命懸けの歩みをしてきました。
 文鮮明先生は、「国を愛することができない者が、どうして世界を愛することができるのか」と何度も諭してくださいました。
 世界が二度にもわたる世界大戦を経て、日本に侵入した共産主義思想。わが国が国際共産主義の格好の餌食となるところを、文先生は友好団体「国際勝共連合」を立ち上げられ、日本の至る所で共産主義の間違いを訴え、日本共産党とも真っ向から闘ってきたのです。
 自由と民主主義を守るために血を流し、命懸けで闘った多くの諸先輩は、私たちの誇りであり、日本国家にとっても救国の勇士であるというプライドを持っています。今も、祖国を愛し、祖国を守ることが、世界を愛し、世界のために生きることであると確信しています。
 ところが、このたびのメディア報道は、私たちを「反社会的団体」「カルト団体」であると断定し、当法人のみならず、友好団体である全ての関連団体を含め、「完全断絶」を図っています。正に現代の魔女狩りと言わざるをえません。
 二〇〇九年以降、当法人は、それまでの一部信徒によるいきすぎた献金活動の誤りや、あいまいな伝道方法とは決別し、民事裁判の判決で指摘された使用者責任を重く受け止め、大きく変化してきました。なお途上ではありますが、教会改革推進本部を設置し、献金に対する取り組みや組織・文化の改革を、さらに推進し続けています。
 冒頭のメッセージは、文先生のみ言です。私たちは信仰を持つ者の群れであり、神様の救援摂理の中でアベル圏としての責任を果たすべく日々の歩みを進めています。アベルがアベルとしての使命を果たすために、何よりも問われるのは、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・37)ということです。そして、隣人を愛し、天の父母様(神様)に連結していかなければなりません。
 「サタンの勢力がいくら強くても、善を打つにおいて、その善の種の中身まで打ってなくしてしまうことはできないことを知らなければなりません。善のための犠牲と死の立場に立つだけではなく、その善をつかんで倒れる忠節の人がいるとするならば、倒れたその一人によって、何倍にも善が繁殖していくということを知らなければなりません。これが鉄則です」(1958年10月1日)
 親なる神様は今、神日本を憂いながらも抱き締めておられます。絶対に懐から手放すことはされません。絶対に諦めることはされないのです。父母は子女の命を前に、諦めることはありません。したがって私たちも、日本を諦めることはありません。
 迫害を受けるほどに、かえって信仰と愛国心は燃え上がるのです。迫害を受けるほど信仰は結束するのです。
 迫害の嵐の中で、中心に立つ私たちが崩れない限り、最後は迫害する側が崩れ始めます。それが、真の父母様が生涯を通して見せてくださった復帰の伝統であり、愛の原則なのです。

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