天と共なる私たちには希望があふれている

 八月六日から二十八日にかけて千葉中央修練所(千葉市花見川区)で開催された「第十九期孝情天寶二十一日修錬会」で、八月二十四日、天の父母様聖会の方相逸・神日本大陸会長がメッセージを語りました。方相逸・大陸会長は、参加している多くの二世圏の若者たちに対して、「失敗して倒れても、何度でも起き上がることができる」と激励しました。(文責・編集部)

見習うべき、韓国キリスト教会の
信徒たちの信仰姿勢

 ここには、二十歳前後の人が多くいますね。この年頃の人は、人生についていろいろ考えるでしょう。
 私は二十歳のときに統一教会(家庭連合)に来ました。それまではキリスト教会に通っていたのです。そこでは、牧師が先頭に立って、真の父母様のことを「サタン」などと、さんざん非難していました。私もその影響を受けて、〝そこまで言われる文鮮明という人物は、とんでもなく悪い人に違いない〟と思っていました。
 ただ、牧師が非難すればするほど、かえって、疑問に思ったこともあります。キリスト教会では、隣人愛の貴さを強調します。そして、イエス様が「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ五・44)とおっしゃったように、怨讐をも愛さなければならないというのが聖書の教えです。ところが、「文鮮明はサタンだから、滅ぼさなければならない」などと攻撃するのです。私は、説教で言っていることと矛盾しているのではないかと感じていました。
 ある日、大学の友人が下宿に訪ねてきました。彼は統一教会の食口でした。私が通っていた大学は、学生数が二万五千人の総合大学です。その中で食口は彼だけでした。韓国でも、一九八〇年代はそれぐらい伝道が難しかったのです。
 私の下宿で、自らの信仰を証した友人に対して、私は、「あなたはサタンの弟子だ。悪魔の弟子は、ここから出ていきなさい!」と、きつく言って追い出そうとしました。やはり、怨讐を愛するというのは難しいことですね。結局、彼の涙ながらの訴えに負けて、修練会に参加する約束をしましたが、統一教会に対する嫌悪感は相当なものでした。
 私の通っていたキリスト教会は長老派教会で、信徒が千人いました。全羅南道光州市で一、二を競う規模の教会だったのです。当時、韓国には約五万人の牧師がいて、私の教会の牧師は、全国の牧師が所属する会の会長でした。とても有名な人物で、その説教を聞くために、日曜日は礼拝が始まる一時間前には席の半分が埋まり、三十分前にはなくなるほどでした。
 皆さんは、二十一修でみ言をしっかり学び、〝これからは、真面目に礼拝にも参加しよう〟と決意していると思います。残念ながら、家庭連合では、礼拝の開始時間ぎりぎりに教会に到着する人も多いでしょう。韓国のキリスト教会では、そんなことはありえません。信徒たちは余裕を持って教会に着き、各自が瞑想したり、祈ったりしながら説教に備えます。それで、牧師の話がすっと心に入るのです。そのような信仰姿勢が、韓国でキリスト教会が発展してきた理由の一つだと思います。私たちも見習わなければならないでしょう。

光州市の中心で
全市民を伝道すると誓う

 私は、友人の導きによって七日修練会に参加しました。
 統一原理のみ言は、どれもがキリスト教会で聞いたことのないもので、私の心は揺り動かされ続けました。そして、キリスト教会こそ、天の願いを見えなくするサタンの手先ではないかとまで思うようになったのです。私は、〝この道を行かなければならない。これこそ、人生を懸けるべきものだ!〟と確信し、統一教会の入会願書を書きました。
 修練会後、友人と一緒に活動するようになりました。皆さんは、千人と二人だったら、どちらのグループに入ろうと思いますか? 大抵の人は、千人のほうを選ぶのではないでしょうか。
 当時、光州の人口は約百万人でした。私は市内の中心部、渋谷で言えばスクランブル交差点のような所で、一メートルほどの高さの台の上に乗って、大きな声で祈りました。
 「神様、私は光州市民を全員伝道します! 心配なさらないでください」
 怖いもの知らずの、二十歳の青年の祈りです。三十歳、四十歳だったら、そのように祈ることはできなかったかもしれません。
 通行人たちの目には、〝おかしな人、変な人〟としか映らなかったでしょう。実際、世の中から見ると〝変な人〟しか、この道には来られないのかもしれません。常識的に考えれば、千人の仲間がいる教会に通ったほうが楽なのです。たった二人でどれだけ伝道できるというのでしょうか。それでも、私はこの道を選びました。
 皆さん、家庭連合は出発のときから、ずっと迫害されてきました。楽に過ごせるときは一日もなかったのです。
 真のお父様が十五歳(数えで16歳)のとき、猫頭山で切実な祈りを捧げていると、イエス様が霊的に現れました。その出会いのときから聖和されるまで、お父様はどんなに過酷な環境が与えられても、志が変わることはありませんでした。
 真のお父様は、罪を犯したので監獄に入れられたのでしょうか? 北の興南収容所、米国のダンベリー刑務所……。どこに入られたときも、何の罪もなかったのです。それでもお父様は、「神様、無実の私が、なぜ刑務所に入らなければならないのですか。悔しいです」などと祈られることは、決してありませんでした。精神的、肉体的にどんなに痛めつけられても、「心配なさらないでください。私は大丈夫です」と、神様を慰められました。神の息子として、〝サタンには絶対に負けない〟という強い意志があったのです。
 罪を犯して刑務所に入るのは当然でしょう。罪がないにもかかわらず、感謝、甘受して刑務所に入ってこそ、神様が、サタンの讒訴を受けることなく蕩減条件として取ることができるのです。不平不満を言っていては、蕩減条件にはなりません。

神のいる自由主義と
神のいない共産主義との闘い

 安倍晋三元首相が凶弾に倒れ、日本だけでなく世界中が揺れました。私たちが起こした事件ではありませんが、マスメディアは、家庭連合が元凶だと言って徹底的に攻撃しています。確かな根拠もなく好きかってにストーリーをつくって報道しているのです。背後のサタンは、進展する神の摂理、拡大する真の父母様の勝利圏を恐れているに違いありません。
 いわゆる「霊感商法」という言葉は、もともと日本共産党と、反統一教会の「朝日ジャーナル」で使われ始め、朝日新聞が批判キャンペーンをして、社会に定着するようになりました。私はこの騒動が、神のいる自由主義と神のいない共産主義との闘いなのだと思えてなりません。家庭連合に対する宗教迫害という次元の話ではないということです。〝神がいるのか、いないのか〟。人類が長い間、追い求めてきた問題を、解決すべきときなのです。
 今、マスメディアを牛耳っているのは、無神論、共産主義勢力でしょう。それゆえ、神主義を掲げ、共産主義の誤りを訴え続けてきた家庭連合を総攻撃するのです。
 皆さん、神様が負けるはずはないでしょう。どれだけ打たれても、真の父母様はいつも逆転勝利をしてこられました。天の父母様(神様)と真の父母様が共にいらっしゃる限り、私たちが負けるはずがありません。

苦労の道には、サタンではなく
神様がいらっしゃる

 真のお父様は、米国で脱税の罪に問われました。活動に使われていたお父様名義の口座で、預金の利子にかかる税金を納めていないというのです。「ワシントン・タイムズ」創設など、米国に投じた金額からすれば、ほんのわずかなものでした。
 そのとき、真のお父様は韓国に帰国すれば、ダンベリー刑務所に入らなくても済みました。しかし、米国のため収容されることを選ばれたのです。お父様は、残される者たちに向けて、「私のために祈らないで、米国のために祈りなさい」とおっしゃいました。
 皆さん、サタンは賢いでしょう。苦労の道は行きません。だからこそ、苦労の道には神様がいらっしゃるのです。真のお父様は、刑務所に行けば、神様が迎えてくださると語られたことがあります。発想が普通の人たちと根本的に違うのです。
 皆さんのお父さんやお母さんも、苦労してこられたでしょう。皆さんは、もう大人なので、親がどのように歩んできたかよく分かるでしょう。
 親であれば、いかなるときも子供を守ろうとするし、たくさん食べさせてあげたいと思います。しかし、皆さんの親たちには、そんな思いを押し殺してでも、真の父母様が掲げられた平和世界のビジョンを成し遂げるために邁進してきた人が多くいたのです。〝長い歴史の中で求められてきた人類の真の父母がおられるこのときに、人生を懸けてみ旨を歩まずして、一体何が残るだろうか〟。そのように考え、全力を投入してきたのです。
 先ほど、苦労の道には神様がいらっしゃると言いました。また、「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言われるように、苦労が将来の役に立つという考え方もあります。実際、苦労することで、人生というものに対して悟りを得ることもできるでしょう。それで皆さんにも、「苦労の道を行きなさい」と言いたいのではありません。私はただ、皆さんがお父さんやお母さんのことを理解してくれることを願っているのです。
 日本中で盛んに家庭連合に対する偏向報道が行われていますが、皆さんのお父さんやお母さんは、そのような不当な非難をずっと受け、忍耐してきました。どんなにかわいそうですか。
 皆、楽に生きる道を知らなかったわけではありません。私も、キリスト教会にとどまったほうが楽だったと思います。それでは、なぜ、そうしなかったのでしょうか。神様と真の父母様が、人類の救いのために血と汗と涙の道を行かれていることを知ったからです。

「救国救世」「教会未来人材育成」 「教会改革推進本部」の柱で取り組む

 キリスト教の教えの中には、常識的に理解しづらいことがあります。その中から二つを挙げてみます。
 一つは、マリヤが聖霊によって身ごもり、イエス様が誕生されたということです。世界の多くのクリスチャンは、当然、「処女降誕」を信じています。しかし子供は、男性と女性が愛し合って一つになってこそ生まれるのです。
 もう一つは、イエス様が十字架にかかって亡くなられた後、三日目に体を持って復活し、弟子たちに四十日間、現れて伝道に行かれたということです。
 今の世の中で、これらのことを「ただ信じなさい」と言って、どれだけ受け入れてもらえるでしょうか。私は、キリスト教の影響力は、ますます薄れていくのではないかと案じています。
 清教徒たちによって建国された米国でも、キリスト教に根ざした価値観が、日に日に廃れています。韓国では、クリスチャンが人口の約三割を占めていますが、その発展に陰りが見え始めています。キリスト教の教義が、科学的に説明できなかったり、現実の問題に対処できなかったりすることも、その要因の一つではないでしょうか。
 二十一修の期間は、長い人生で見れば、ほんのひとときです。しかし、この期間で皆さんの人生は変わります。本当です。いかなる思想、宗教団体の教義をも凌駕する「原理」を学んでいるからです。ぜひ、周りの二世や三世、まだみ言を深く学んでおらず、教会に来ていない兄弟姉妹に声をかけ、その恩恵を証ししてあげてください。
 現在、家庭連合を挙げて、改革に取り組み始めています。その三つの柱が、「救国救世プロジェクト」「教会未来人材育成プロジェクト」「教会改革推進本部プロジェクト」です。また、マスメディア対応もしっかり行っていきます。
 祝福家庭や食口はもちろん、関わる全ての人々を幸福に導くことのできる団体を目指していきますが、現時点ではまだ、不足な面も多くあるでしょう。皆さんが、「こうしてほしい。ああしてほしい」という要望があれば、本部に上げてください。真の父母様が願われる、理想家庭、理想世界、平和世界の実現のために手を取り合っていきましょう。
 私が家庭連合に来て〝成功した〟と思うことの一番目は、真の父母様に出会ったことです。
 皆さんは、小さい頃に宝探しをしたでしょう。人類も長い歴史の中で宝探しをしてきました。何千年、何万年の歴史で最高の宝物が真の父母様です。皆さんはすでに宝物を探し当てたので、人生は間違いなく豊かに実ります。
 二番目は、真の父母様から祝福を授かったことです。
 天の願いは、個性を完成した男性と女性が出会い、天の父母様のもとで祝福結婚を受けることです。これは永遠に変わりません。「同性婚」は、天の本来の願いに反し、人類の存続に脅威をもたらします。
 三番目は、祝福子女を授かったことです。
 日本や韓国では少子高齢化が進み、国家的な危機を迎えていると言われます。国や社会が発展し、いくら成熟したとしても、子供が生まれなければ、存続することは難しいでしょう。
 私たち夫婦は、恵まれて四男二女を授かりました。子供たちには、いつも申し訳なく思っていますが、家族で外食に行くことはほとんどできませんでした。皆さんも同じような境遇だったのではないでしょうか。

親を気遣う長男を通して
気づきを与える天の計らい

 長男が中学三年生のときのことです。少しお金が入ったので、久しぶりに家族を食事に連れていこうと思いました。しかし、八人分には足りなさそうだったので、妻に「本当にごめん。息子たちと食事に行こうと思うんだけど、娘たちと家で食べてもらってもいい?」と聞きました。妻は、ほほえみながら、「娘たちは私が守るから、安心して行ってきて!」と言ってくれました。
 息子たちに外食に行くことを伝えると、なかなか信じられないようでした。「本当?」「マジで?」などと言って疑っているのです。
 私たちは、回転ずしに行くことにしました。私は、子供たちが「すしって、こんなにおいしいんだ!」と言いながら、うれしそうに食べるようすを見て、幸せに浸っていました。
 ところが、しばらくして長男が、隣にいた次男の足を蹴ったのです。私が、「静かに食べなさい。周りの人にも迷惑でしょう」と注意して、再び食べ始めましたが、少しして、また蹴ったので、長男を叱ろうとしました。すると、長男は私に、後ろを見るように指さしたのです。
 私が振り返ると、皿の色で五百円、四百円……百円と値段が決められていました。全部が百円ではなかったのです。長男は席に着いたときに気づいて、ずっと百円のものだけを食べていました。一方、私や他の息子たちは高いものばかりを食べていたのです。
 私は長男に、「お父さんはもういいから、おまえも四百円、五百円のすしを食べなさい」と言うと、「いいよ。百円のもおいしいよ」と答えました。私は、自分の思いを我慢して親のことを気にかけてくれる長男の姿に、「こんなにりっぱに育ったんだ……」と、ただただ感動し、うれし涙があふれました。
 困難な状況に置かれている今こそ、真の父母様の願いが何なのか悟り、自ら行動を起こすことができたら、どれだけ喜んでいただけるでしょうか。どれだけ心強く思っていただけるでしょうか。振り返ると、回転ずしでの思い出は、そのことを心に刻むための天の計らいだったように感じます。
 この中には、わが家と同様に、経済的に惨めな思いをしてきた人がいるかもしれません。それでも、皆さんの親は、自分がおいしいものを食べるために、子供に内緒でお金を使ったわけではないでしょう。神様の夢である「神のもとの人類一家族」を実現し、皆さんと幸福に暮らすためだったのです。
 最近、私の妻は、四百拝敬礼、四十日間の蕩減条件を立てて、毎日、敬礼をしています。始めた動機を妻に尋ねると、「真の父母様の心情世界を少しでも理解したかったから」と答えました。四百拝の敬礼をしたあとに祈祷すると、ふだんのお祈りよりも、天に通じる感覚が明らかに違うそうです。
 神様は、皆さん一人一人にふさわしい願いを託しておられます。それがどんなものか、各自が精誠条件を立てながら切実に求めてみてください。

真の父母様と共に
最後の峠を越える期間

 青年は、ビジョンを持たなければなりません。「希望」という言葉はよく使われますが、皆さんにはどんな希望がありますか?
 希望を持っている人は、たとえ倒れても、立ち上がる力が湧いてきます。希望を持っていないと、倒れたときに立ち上がることができず、不平や不満ばかりを言うようになります。
 真の父母様は、皆さんのお父さんやお母さんたちと一緒に、真の愛に満ちた幸福な世界をつくろうとしてこられました。真のお母様はその実現に向けて、第二次七年路程の二年目を歩んでおられます。そのゴールの二〇二七年まで、六十か月を切りました。
 真のお母様は今、数えで八十歳です。二〇二七年には八十五歳になられます。皆さんの周りにいる八十五歳のお年寄りは、バリバリ仕事をしていますか? いくら健康といっても、体力的に活動は制限されるでしょう。二〇二七年までが、家庭連合において、真の父母様と共に最後の峠を越える期間です。
 私は疲れを感じるとき、二十歳のときに光州の中心で全市民を伝道すると天に誓った心情を思い返します。すると、ふつふつと力が湧いてくるのです。
 皆さんはこの場で、将来、何が起きても変わることのない覚悟を固めることができます。修錬会は、まだ日数が残っていますから、しっかり祈ってみてください。神様が必ず覚えてくださいます。
 若いときは、失敗して倒れても、何度でも起き上がることができます。何も恐れずに全力で投入してみてください。最近、二世の中からも、ユーチューブで自らの信仰を証しする青年や、テレビのインタビューに堂々と応える家庭青年が現れています。その勇気と行動力に心から感謝しています。
 希望という言葉は、若者にふさわしいでしょう。天が皆さんに与えてくださった環境で、一生懸命、勉強し、働き、地域社会や国、世界のために頑張っていきましょう。
 まぐろは、泳ぐのをやめると窒息してしまうため、一時も止まることなく泳ぎ続けるそうです。泳ぐスピードもとても速く、時には時速百六十キロに達するとも言われています。まぐろのように、止まらず、み旨に邁進し続けたいものです。
 しかし、人間は休まなければ倒れてしまいます。皆さんは、必要ならばしっかりと休息を取り、活動するときには、全速力で駆け抜けてくださるよう願います。皆さんのため、そして、日本の兄弟姉妹のために常に祈っています。共に頑張ってまいりましょう。

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