神様は私たちと共にある

七月十七日、東京・渋谷の松濤本部に田中富広会長を迎えて礼拝が行われ、インターネットを通して、全国の祝福家庭、食口が参加しました。田中会長は、「神様は私たちと共にある」と題して説教を行い、現在、困難の中にある日本家庭連合の兄弟姉妹たちを激励しました。(文責・編集部)

天の声を聞き、
記者会見を開くことに

 日本全国の責任者ならびに先輩家庭の皆様、そして祝福家庭をはじめとした、全ての食口の皆様、こんにちは。
 予想だにしない、前代未聞の惨劇が起きてから十日目を迎えました。改めて安倍晋三元首相に心からの哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りいたします。
 ご逝去以降、この一週間における国内外のメディア報道を見ても、安倍元首相が、多くの日本国民から尊敬され、愛されていたことがよく伝わってまいります。世界的ネットワークを通して、世界の指導者からこんなにも惜しまれながら見送られた日本人は、他にいたでしょうか。
 安倍元首相は、志を高く持ち、「美しい日本」のビジョンを柱にして大きな夢を抱いておられました。その夢を形にする、「いよいよこれから」というときであっただけに、私個人としても悔しい思いでいっぱいです。
 このたびの惨劇は、あらゆる意味で戦後最大の事件と言っても過言ではありません。地球規模の大きな衝撃が走りました。
 そして、その犯人とされる容疑者が、私たち家庭連合と関係があると報じられた瞬間、本当に血の気が引きました。皆様も、「本当か?」と不安な時間を過ごされたことと思います。
 時間の経過とともに、あらゆるメディアは、容疑者が恨んでいたとされる〝特定の宗教団体〟に注目するようになりました。そして、一部メディアで「旧統一教会」という言葉が出たとき、本部は緊張に包まれ、同時に容疑者との関係について確認に入ったのです。
 事件が発生したのは七月八日(金)でしたが、十日、日曜日の午前三時頃、私は突然、天の声を聞いて目を覚ましました。「表に出なさい」とのことでした。
 私は、「表に出る」とはどういうことだろうかと思慮し、「そうか、記者会見か……」という考えに至りました。そして、会見に臨む覚悟を決めたのです。
 その日の午前中、本部で会議が持たれました。全国の食口の皆様や、私たちの運動を支援してくださる多くの関係者の皆様のためにも、責任者が表に出て、メディア報道によるあいまいな憶測を整理する必要がありました。また、当法人の立場から、はっきりと声明を出さなければ、三十年前のような悲劇になると想定されたため、全体で一致して決断したのです。
 もちろん、「時期尚早だ!」「警察発表もないのに、今はすべきではない」などのご意見も頂きました。しかし、時間の問題であることは目に見えていました。三十年前の経験から、洪水のような試練が押し寄せてくることが想定され、今振り返っても、「あの時しかなかった」と思います。
 記者会見後、日本だけではなく、世界中からSNSやメールなどでお言葉を頂きました。たくさんの心配をおかけしたことを、ここにお詫び申し上げます。
 ただ、日本の食口の皆様や、全世界の兄弟姉妹の祈りと、何よりも天の父母様(神様)と真の父母様の見守りの中で、記者会見には、自分でも驚くほど平常心で臨むことができました。
 当日の朝は、「紫のムグンファ」の曲が、頭の中でずっと流れて、「あぁ、真のお母様が祈ってくださっているんだなぁ」と強く感じました。それで、本日の礼拝では、「紫のムグンファ」を讃美してもらったのです。

事実を真摯に受け止め、
真の父母様の教えに立ち返る

 さて、容疑者は、母親が当法人への献金によって破産し、家庭が崩壊したという恨みから犯行に及んだと、メディアは報じています。その真実の詳細は、まだはっきりとは分かりません。私たちも今、全力で事実関係を追いかけています。
 しかし、母親が教会員として二十年以上前から教会と関係を持っていたことは事実であり、容疑者自身も、教会員登録はしていないにしても、未成年期に教会に来て、み言に向き合ったことも二度、三度あったと聞いています。
 確かに、私たちの教会が直接的に犯罪を犯したわけではありませんが、お母さんが学びにこられていたこと、教会員としてみ旨に励んでおられた時期があったことは事実です。私たちが、ご本人やご家庭が抱えている課題に向き合い、しっかりと解決することができていたなら、いや、解決にまで至らないにしても、サポートし続けることができていたなら、と悔やまれてなりません。
 きっとお母さんは、すがるような気持ちで救いを求めておられたと思います。私たちは、家庭の大切さを説き、ために生きる価値を第一に説く宗教法人です。それは、真の父母様が生涯を懸けて伝えてくださった教えの核心です。
 宗教団体は、社会的には法人格を頂いています。ですから、社会から尊敬される立場でなければなりません。もし、恨みを抱かれているとしたら、正面からしっかりと受け止めなければなりません。
 これから捜査は、本格的な動機や原因の解明に向かっていくと思いますが、犯行の動機が、本当に報道されている内容のとおりなら、私たちは重く受け止めていかなければなりません。
 現在、メディア報道が、朝から晩まで空爆のように、私たち法人にその矛先を向けており、皆様も心安まる瞬間がないのではないでしょうか。一部の心無い報道によって傷つき、ひいては信仰が揺れている方もいらっしゃるかもしれません。また、心無い電話攻撃を受ける教会の総務やスタッフの皆様の中には、体調を崩した方もいらっしゃると聞きました。三十年前の報道をフラッシュバックのように思い出し、心が重くなっている方もいらっしゃるかと思います。
 報道には、思い込みや憶測の域を出ない、明らかに勇み足と言えるものや、悪意が感じられるものもあります。まだ、捜査本部が事件解明に取り組んでいる最中であり、私たちも全面協力を表明しているため、この場で共有できる内容には限りがあります。ご了承ください。

宗教において献金は大切な行為

 皆様、宗教において献金は大切な行為です。一部メディアは、真のお父様のみ言集に、「持っている全てのお金を捧げなさい」と書かれていると批判的に報道しました。それでは、イエス様はどのような指導をされていたのでしょうか。マルコによる福音書には、やもめの女の話が描かれています。
 「イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、『よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである』」(一二・41〜44)
 また、イエス様は、「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである」(マタイ六・19〜21)と語られました。
 献金は、天の事情や願いを知り、その願いに応えていきたいという心の表れとして捧げるものです。信仰を持つ者にとっては、とても大切な行為であり、誇るべき行いです。
 今回の出来事を通して、一人のクリスチャンから、私たちの、ある教会に電話がありました。その方は、「キリスト者にとって、神の前に捧げる献金は命です。どうか、犯人が献金ゆえに犯行に及んだのではないと、強く訴えてください」とおっしゃったそうです。そして最後に、「キリスト者として、あなた方と心は一つだと思っています」と付け加えられたということでした。
 真のお父様は、「献金は心情である!」と指導されました。もし、献金に心が伴わなければ、恨みになることもあるでしょう。私たちには、献金の意味を正しく伝えることが求められています。
 他にも、たくさんの激励や励ましの言葉を頂いています。皆様が日常でおつきあいし、皆様の行動を直接、目にしている方々は、メディア報道と皆様の実体とのギャップに驚いておられます。そして、「私は全く変わりません。安心してください。これからも、皆さんとしっかりおつきあいさせてもらいます」などと、温かいメッセージを寄せてくださっているのです。

悪意のあるメディア報道とは

 本日は、二世圏の皆様も礼拝に参加しておられます。連日のメディア報道やSNSの記事に触れ、気持ちが沈んでいる方も多いでしょう。
 私たちは、予想しなかった情報に突然触れたときは、どうしても視野が狭くなり、目の前の情報に振り回されがちです。
 上の絵をごらんください。これは、『プチ哲学』(佐藤雅彦著、中公文庫)に描かれたイラストをまねして、私が描いたものです。皆様には、この絵がどのように見えますか? 左のいじめガエルが、右側のカエルを池に突き落としているようにしか見えませんね。そして、魚たちは、カエルが落ちそうなので、「危なーい!」と叫んでいる。どう見ても、そういう構図でしょう。
 ところが、これは、この絵の一部なのです。
 実は、カエルの頭上から大きな木の実が落ちてきていたのです(次ページ一段目の絵)。いじめているように見えたカエルは、いじめているのではなく、助けているのです。魚たちは、カエルが池に落ちそうだから危ないと言っているのではなく、落ちてくる木の実にぶつからないように、危ないと叫んでいるのです。
 物事の一部分が、全体から見ると、全く違った意味を持つということが見えてくる。このようなことは、日常でもさまざまにあると思います。
 例えば、お母さんが子供を厳しく叱ったとしましょう。傍目には精神的虐待に見えるかもしれません。しかし、お母さんの心の世界まで拡大して見たら、どうでしょうか。それが、母親の深い愛情ゆえの行為であったと気づくことができるかもしれません。そうすれば、厳しく叱られたことは、むしろ自分に注がれた愛情の表れとして、生涯忘れられない思い出になるということもあるのです。もちろん、愛情がなければ、ただの精神的虐待です。
 先ほど、「悪意のあるメディア報道」について言及しました。それを表現すれば、下の絵のようになります。
 赤枠の中に聴衆の関心を引き込み、枠の外を見せないようにする。関心を枠内に閉じ込めてしまおうとする意図が、明らかにあるということです。全体を見られて、解釈が全く変わってしまうことを恐れているのです。
 悪意のある報道の例は、挙げれば切りがありませんが、昨今の偏向したメディア報道には、本部も継続して対応してまいります。
 嵐が過ぎるまで苦しい日々が続くと思いますが、いちばん苦しんでおられるのは、恐らく真のお母様です。容疑者のターゲットが、お母様だったとも報じられました。この報道を耳にされるお母様のご心痛は、いかばかりでしょうか。
 真のお母様は、私たちの親です。現在の日本のようすを耳にされ、子供たちがどれほど苦しい状況にいるのかと想像するだけで、いたたまれない心境に陥られるのは間違いありません。親として、心が張り裂けそうになっておられるのです。そのお母様に、天の父母様聖会の方相逸・神日本大陸会長は、畳みかけるようにして、現況を毎日、お伝えしなければなりません。それが、どれほどつらいことでしょうか。

全世界の兄弟姉妹も共にある

 先日のことです。韓国に人事異動して真のお母様のおそばで侍る李成萬・花鳥苑建立推進委員長から電話がありました。その際、お母様が、私たち子女を思って心を込め、託してくださった、「皆さん、一つになって乗り越えましょう」というみ言を伺いました。皆様、お母様も一緒に闘ってくださっています。そのようなお母様に、私たちは何を言えるでしょうか。「お母様、私は大丈夫です! 心配なさらないでください」。これ以外に、どんな言葉があるでしょうか。
 また、私宛てに李成萬委員長から激励の詩が送られてきました。その一部ですが、皆様と共有させていただきます。

二千年前、
十字架を前にした天の独り子
メシヤに唾を吐いた
サタンの召使いたち
過ぎし八十星霜、再臨メシヤ
真の父母様を冒瀆してきた
暗闇の勢力は時を得たとばかりに
噛み付いてくるだろう

友よ! 信仰の友よ
生きる天の父母様の我が兄弟よ
真の父母様の家族の一員よ
統一勇士よ

今は善なる霊界も非常事態
四方八方に万全を期して守りいく
独り娘、実体聖霊に侍り
世界の兄弟姉妹が昼夜を分かたず
声高らかに
祈りの応援歌を送り続ける
必ずや天にも届く

たとえ玄界灘を間に置いたとしても
こちら父の国から
美しき着物姿で一万の応援チームが
きょうのための「み旨の応援歌」を歌っている

友よ!
身は離れていても魂と心は
友の側にいる
身を張って天を守り、み旨を守り、食口を守ろうと
〝死なんとする者は生きる〟の信仰で
最も強力な力、
真の愛で立ち向かう友を
心から誇りに思う

我がお父様は 青春の時
生き地獄の底で恨の神様を
慰労してさしあげ感謝を捧げられた
我ら皆 その事を思い起こそう

天の父母様が友に語られる
「これもまた通り過ぎていく
This too shall pass away!
そして一人ではない」

天が共に成されるので
すでに勝利した戦いをしているのである
日が昇る前の夜明けは最も暗い
友よ、愛する友よ
明日がある

 韓国にお嫁に行った日本の婦人たちも、必死になって日本の食口のために祈ってくださっています。

これまでと変わらず、
普通に過ごすことが最高の証し

 真のお父様のみ言には、このようなものがあります。
 「皆さん、進む道がふさがったと落胆しないでください。この国が乱れると気落ちしないでください。神様は死んではいません。この世界がどんなに沸き立っても、気落ちしないでください。神様は死んではいません。神様は必ず訪ねてこられます」(1961年2月12日)
 神様は、私たちと共にあられます。堂々と胸を張って生きていきましょう。過去に過ちがあれば謙虚に受け止めていきましょう。大切なのは、天がなお、私たちを用い、この試練を超えて真のお母様と共に前進することを願っておられるという事実です。
 今や、日本国民の中で、旧統一教会、世界平和統一家庭連合を知らない人がいなくなりました。それでは、どうしたらいいのでしょうか。〝普通〟でいいのです。普通に過ごすことが最高の証しです。
 皆様、これまでどおり、隣近所の人々と挨拶を交わしましょう。友人といつものように向き合ってください。こちらが変わらなければ、向こうが変わっていきます。そして、自分が分からないことを尋ねられたら、「分かりません」と答えればいいのです。「分かったら、またお伝えします」と言えばいいのです。
 私たちに失うものはありません。前進あるのみです。共に手を取り合い、支え合いながら踏ん張ってまいりましょう。
 日本全国の最前線で、嵐に立ち向かう皆様の勇気と、真の父母様を慕う孝情に感謝して、本日のメッセージといたします。
 ありがとうございました。

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