私たちの家庭は道であり、真理であり、命であり、愛である

「聖書には、『わたしは道であり、真理であり、命である』とありますが、ここには『愛』が抜けています。愛がなければ、私たちは何もできません。
 『わたしは道であり、真理であり、命であり、愛である。だれでもわたしによらないでは、天の父母のみもとに行くことはできない』
 このように、愛を加えてこの言葉を新たに心に刻むとともに、このような愛を持たなければならないのです」(『人類の涙をぬぐう平和の母』323〜324ページ)

 これは、真のお母様の自叙伝の第九章「神の国は私たちの中にあります」に記された内容です。真のお父様もご生前、同じように語っていらっしゃいました。
 イエス様のみ言は、「わたし」という一人称単数になっています。天の願いであった小羊の婚宴に至ることができなかったイエス様にとっては、致し方のないことかと思います。個人の救済の道に従うクリスチャンたちは、イエス様と同じように「道」であり「真理」であり「命」であり続けようと、正に命懸けの道を歩んできたのです。
 私たちは、真の父母様の勝利圏のもとで、祝福家庭として重生という奇跡の恩恵にあずかりました。そして、神氏族メシヤとしての使命、責任を宿命として受け止めたのです。
 六〇〇〇双の祝福行事(1982年10月)の際、真のお父様は、私たちがイエス様に代わって全世界で神氏族メシヤの使命を果たさなければならないことを強調されながら、「先生の誇りは、たくさんのメシヤをつくったことである」とも語られました。
 祝福を受けた私たちは、氏族の「メシヤ」です。そうであるならば、イエス様が「道」であり「真理」であり「命」であると宣布されたように、「私たちの家庭は『道』であり、『真理』であり、『命』であり、そして『愛』である」と宣布できる、分神殿としての家庭を目指さなければなりません。
私たちの家庭は「道」である!
 真のお母様は「天の父母様聖会」を宣布され、全人類が天の父母様(神様)の懐に帰ることのできる環境を整えられました。全ての人類は、神様を天の父母様として受け止め、共通の父母の懐で兄弟姉妹としての心情を復帰していかなければなりません。その入口となるのが、私たちの家庭です。私たちの家庭は、孝情を中心とした天一国文化の基地です。
 今や、人間始祖の堕落によって父母を失い暗闇の中で彷徨してきた人類が、神の子女として天の父母様の懐に帰ることが許される時代を迎えたのです。私たちの家庭が、天の父母様の懐に戻る、通り道となります。整備され、案内板も見やすく、孝情の輝きに照らされた、明るい「道」とならなければなりません。

私たちの家庭は「真理」である!
 み言の目的は実体であり、実体の目的は心情です。私たちのゴールは、み言の完成実体です。真理の実体とならなければなりません。私たちの家庭を見た人から、「み言がより理解できました!」と言われる家庭を築いていかなければなりません。
 『原理講論』に「生心の要求するものが何であるかを教えてくれるのが真理である」とあります。私たちの家庭文化が人々の生心に感化を与えることができるように、家庭文化を成熟させていかなければなりません。
私たちの家庭は「命」である!
 家庭に新しい生命の産声が響きわたるとき、それは、天地が歓喜に震え、希望と喜びと感謝と感動が一挙に訪れるビッグバンの瞬間です。
 アダムとエバの産声を聞かれて、天の父母様がどれほど喜ばれたでしょうか。同じように、偽りの血統圏の中で呻吟する命が、み言に触れ、感動に胸震え、「天の父母様!」と初めて手を合わせるとき、それは、どれほどの感動の瞬間でしょうか?
 私たちの家庭は氏族メシヤの家庭であり、多くの命を死亡圏から生命圏へと生み変えていく、伝道の最前線基地とならなければなりません。
私たちの家庭は「愛」である!
 愛は万民が求めるものであり、最も崇高なものでありながら、色もなく、匂いもなく、触れることもできません。しかし、確かに存在するのが「愛」です。
 永生の価値観は「愛」であり、霊界は愛を呼吸して生きていく所です。地上生活は、永生の生活に向けて愛の感性を育成する期間でもあります。天寶修行の道は、地上生活における愛の訓練生活であり、永生に通じる霊人体の完成の道なのです。正に、家庭は「愛」の学校です。

 私たちの家庭は「道」であり、「真理」であり、「命」であり、そして「愛」である。「私たちの家庭を見た者は、天の父母様を見た者である!」と、堂々と宣言できる家庭を目指してまいりましょう。

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