よく生まれ、よく生き、よく死ぬべき地上生活

 十一月三日、尾瀬霊園(群馬県利根郡片品村)で、第三十九回「神日本聖和祝祭」が行われ、名称が「全日本聖和祝祭」から「神日本聖和祝祭」に変わって迎えた最初の聖和祝祭となりました(4ページにグラビア)。主礼を務めた、天の父母様聖会の方相逸・神日本大陸会長は、天の原理原則に従ってよく生き、霊界での永生に備えることの大切さを強調しました。(文責・編集部)

霊界での永生と比べると
〝あっという間〟の瞬間

 この場に参加しておられる先輩家庭の皆様、食口の皆さん。そして、インターネットを通じて参加している全国の食口、祝福家庭の皆さん、こんにちは。
 澄んだ秋空と美しく染まった紅葉、このように豊かな自然をもって、私たちを迎えてくださった天の父母様(神様)、真の父母様に心から感謝申し上げます。
 尾瀬霊園は、初代園長の戸丸英男先生が、一九八一年に、先祖伝来の畑を天の前に奉献して造園を始め、一九八三年に開園されました。〝聖和して永生する祝福家庭や二世たちのための霊園をつくってほしい〟という真の父母様の願いのもと、霊界の協助を受けながら、不可能とも思われる試練の数々を乗り越えて開かれたのです。戸丸英男先生に感謝の大きな拍手を捧げましょう。
 第一回「統一慰霊祭」から数えて三十九回目となる、きょうの「神日本聖和祝祭」において、皆さんにお知らせすることが二つあります。一つは、現在、園長を務める戸丸廣安園長(1800双)の長男・正政さんが、三代目の園長として出発します。もう一つは、尾瀬聖和家庭会の理事長が、阿部知行先生(777双)から柴沼邦彦先生(777双)に替わります。二人の門出を祝い、激励の拍手をお願いします。

 真のお父様は、人間は腹中生活十か月、地上生活約百年を経て、永遠の霊界生活に至ると語られました。皆さんも、耳にタコができるくらい、このようなお話を聞いたと思います。
 赤ちゃんがおなかの中にいるとき、母親がお酒を飲んだり、タバコを吸ったり不摂生な生活をすると、赤ちゃんの成長に悪影響を及ぼすので、母親はそのようなものには手を出しません。同じように、私たちは霊界での永生に備えて、地上に誕生してから死ぬまでの間、天から与えられた使命を果たし、〝やってはいけない〟と戒められていることを行ってはなりません。真のお父様も常にそのことを強調されました。霊界での永生と比べたら、この地上生活は〝あっという間〟です。だからこそ、天の原理原則に従って、よく生きなければなりません。

人類歴史上初めて、霊界の
詳細を明かされた真の父母様

 皆さんは「四大聖人」をご存じでしょうか。四大聖人とは一般的に、孔子、釈迦、イエス・キリスト、ソクラテスを指します。私は、聖和祝祭を迎えるに当たり、四大聖人が「死」についてどのように考えていたのかを調べてみました。
 孔子からとても愛された子路という弟子がいます。彼が孔子に「先生、死とはどういうものですか?」と尋ねると、孔子は、「生のことも十分に分かっていないのに、どうして死のことが分かるだろうか」と答えたそうです。
 お釈迦様は、生・老・病・死の「四苦」を、〝人間として逃れられない必然的な苦しみ〟と捉え、どのようにしたら人生の苦しみを克服することができるのかを説きました。私たちを悩ませる煩悩から解放される「解脱」を強調し、〝悟りの境地で生き生きと暮らすための知恵〟を授けようとしたのです。
 孔子は七十四歳、お釈迦様は八十歳で没したのに対して、イエス様は三十三歳という若さで、十字架に架けられてお亡くなりになりました。現代において、高齢者が死後の世界について話せば、聞く耳を持つ人は多いかもしれませんが、若者が話したらどうでしょうか。クリスチャンをはじめ、聖書に感動した人々は、「イエス様、イエス様」と慕いますが、あの時代に、三十代の若者が、「神様とはこのようなお方だ」「人生とはこういうものだ」と、いくら熱心に説いても、信じる人は多くなかったと思います。しかも、〝姦淫を犯した者は石で打ち殺してもいい〟と言われた厳格なユダヤ教社会で、イエス様は未婚の女性からお生まれになったというのです。
 イエス様は、霊界のことを含め、神様から託された、人類に伝えるべき内容を胸に秘めておられたはずです。しかし、「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」(ヨハネ一六・12)とあるように、全てを伝えることはできませんでした。その悔しさ、もどかしさは、いかばかりだったでしょうか。
 ソクラテスは、古代ギリシャの哲学者で、西洋哲学の基礎を築いた人物の一人とされています。彼は〝自らの無知を自覚することが、真の認識に至る道である〟として、「無知の知」を説き、人はいかに生きるべきかを深く探求し続けました。そして、弟子のプラトンが著した『ソクラテスの弁明』の中に、「死とは人間にとって福の最上なるものかもしれないが、それを知っている人はいない」と記されています。
 このように、四大聖人といえども、霊界について細かく説いている方はいないのです。イエス様は、ある程度まで触れておられますが、真の父母様が私たちに教えてくださった内容には及びません。聖書には、先祖解怨や先祖祝福については記されていませんね。そのことを考えても、家庭連合の食口たちは、本当に恵まれた立場にあると思います。ここでは、霊界の存在を〝感じる〟どころではなく、〝映画のように見える〟のです。
 皆さんは、李相軒先生(36双)が霊界から送ったメッセージを聞いたことがあるでしょう。『霊界の実相と地上生活』という書籍にまとめられていますが、私はかつて、この書籍を深く読み込んで、一年間、ずっとこの内容を説教の題材にしたことがあります。
 また、天一国経典『天聖経』の第七篇に、真のお父様が霊界について語られたみ言がたくさん掲載されています。今回、ひととおり読んでみましたが、霊界についての詳細な教えに驚き、改めてお父様の偉大さを実感しました。

天国は夫婦、家族で一緒に行く所

 天の父母様は、目には見えません。ですから、多くの人が、信じることができないのです。しかし、目に見えないものにこそ、大切な価値があるということを知らなければなりません。
 空気は目に見えませんが、全くない所に数分、数十分でもいたら、私たちは全滅してしまうでしょう。そのように貴重な空気を頂いているにもかかわらず、私たちは何のお返しもしていません。他にも人の心など、目には見えませんが、私たちは常に感じながら生活をしています。真のお父様は、目に見えないものの中でも、いちばん重要なのが霊界の主人であられる神様であると教えてくださいました。
 神様は真の愛の方です。真の愛とは、他のために生きることです。
 「真の愛は、誰でも願うものですが、愛というものは、ために生きることによって可能になるというのが原則です。相対のために奉仕し、犠牲にならなければなりません。『私のために生きよ』という心で人に対するようになれば、皆が逃げてしまいます。利己的な個人主義は、サタンの戦略であり、目的であり、道具です。その結果は、地獄です」(天一国経典『天聖経』278ページ)
 愛がない所が地獄であり、お互いがために生き、愛があふれている所が天国です。皆さんも、家庭の中で愛を感じることができれば幸せでしょう。家庭に愛がなければ、たとえ家族が一緒にいたとしても、地獄にいるようなものです。
 キリスト教会では、「私自身が神様、イエス様を信じれば、天国に行くことができる」と教えますが、真のお父様はその教えを明確に否定されています。
 「今までの宗教の目的は、個人を救うことでした。しかし、統一教会は個人の救いよりも家庭の救いを目的とします。救うとしても、家庭を救い、天国に行くとしても、自分一人では行きません。統一教会の救援観は、夫は天国に送り、妻は地獄に送ろうというものではありません。二人とも天国に行こうというものです。また、父母を地獄に送るのではなく、父母に侍り、また息子、娘も連れて天国に行こうというものです」(同587ページ)
 天国は夫婦が一緒に行く所です。真のお父様は「一緒に」という言葉を強調されました。たとえ、私個人の信仰が素晴らしかったとしても、一人では天国に行くことができません。もし、妻が信仰を持っていなかったら、天の娘として大切に育ててあげましょう。反対に、妻が一生懸命に教会活動をする信仰者で、夫が信仰生活に対して前向きでないのなら、愛して尽くして、み言を伝えてあげましょう。
 それでは、夫婦が信仰を持っていても、子供が信仰を持っていなかったらどうしますか。親だけが天国に入って喜ぶことはできないでしょう。ですから、親が立てた信仰の伝統を子供に相続させ、一緒に連れていかなければなりません。そして、祝福家庭の中には、親が教会から足が遠のいていても、子供は信仰をしっかり持っている家庭もあります。その場合は、子供が親を導いて、天の前に一緒に帰るのです。
 このような話を聞いて、心に痛みを覚える食口もいるかと思います。しかし、これが行くべき道、原理原則の道です。たとえ今は、教会から離れている家族がいても、その一人一人を心から大切にし、天の前に導くことを決して諦めず、愛を投入していきましょう。

天寶修行の主役となることが
天に捧げるいちばん大きな贈り物

 一般的な「死」とは、肉体が死ぬことです。しかし、霊人体は死なずに霊界で永遠に暮らします。ですから、お墓参りは単なる形式的、文化的なものではありません。親のお墓を前にしたときに、共にいて見守ってくれている存在を感じながら、「お父さんとお母さんがいる所に、私もあとから行きます。よく準備して待っていてくださいね。そして、お父さん、お母さんが今まで頑張ってくださった内容を引き継いで、私も地上で頑張ります」と報告するのです。
 神様がいちばんお好きなことは、ために生きることです。中でも、自らの命をかけて人を救うということを喜ばれるでしょう。私たちが親に会いにいくときは何か贈り物を準備する、これが親に対する礼儀ですが、私たちは霊界に行くとき、神様に何を持っていきますか? お金、権力は霊界では必要ありません。自分が愛を実践した結果、信仰の子女が必要なのです。
 私たちが縦的四百三十代と横的四百三十家庭を勝利し、天寶修行の主役となることが、神様と真の父母様へのいちばん大きな贈り物であり、先に霊界に旅立った先輩方へのプレゼントになります。
 ここ(尾瀬霊園)には、真の父母様のご指導を受け、み旨に生涯を捧げた祝福家庭が入っていらっしゃいます。私たちよりも霊界のことをよく知った先輩家庭が、皆さんのところに毎日降りてきては、「こうしたほうがいい。ああしたほうがいい」と教えてくれるはずです。

 十月二十四日に行われた「文鮮明天地人真の父母天宙聖和九周年記念 天一国祝勝会」(10ページにリポート)で、私は、「北韓白頭漢拏芸術団」の歌に深く感動して涙を流しました。とりわけ、三曲目に披露した「白頭と漢拏はわが祖国」に心を動かされました。
 北朝鮮で最も高い山が白頭山で、韓国では済州島にある漢拏山です。彼女たちが、南北統一への願いを切々と歌い上げるのを聞いていると、私たちも、精誠の限りを尽くして、真のお母様の前に立たなければならないと思わされました。
 天心苑特別祈祷室の恩恵が相続され、霊界から協助を受ける基盤は整いました。皆さん、天寶勝利を成し遂げ、神氏族メシヤとして天に喜びをお返ししましょう。そして、祝福二世、信仰二世、祝福三世を絶対に守りましょう。彼らが寂しさを感じることがないように愛情を注ぎ、天の前に取り戻すのです。
 今年から、これまで日本全国の霊園がそれぞれで行っていた聖和祝祭を同時に行うことになりました。全ての食口が、もう一度、霊界の協助を受けて歩むことの大切さを自覚する時です。
 今は、六千年に及んだ神様の復帰摂理が、最終段階を迎えた第二次七年路程を歩んでいます。地上で共に歩んでおられる真のお母様の願いを果たすことが、自らの命よりも大事なことだと思いながら、全力を投入してまいりましょう。
 そして、母の国・日本を一日も早く天の前に復帰できるように、絶対善霊として後孫を見守るご先祖様、先輩家庭が、私たちを応援してくださるように切にお願い申し上げます。

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