「祈り」こそ最も威力あるもの! ~不可能なことを可能にする力~ (第3回)

家庭教育局長(執筆時) 阿部美樹

◆祈りの実践

①三つの敵

祈りには三つの敵があります。

第一の敵は、「祈らないこと」です。祈りは大切だと誰もが分かっていても、それを実践することは簡単ではありません。神様との対話だとしても、神様の声が聞こえない、祈りが聞かれているのだろうか、答えてくださった実感がない、なかなか効果がない、などの不信感を持ちやすいものです。その結果、大切なことは分かっていても、祈らない生活に陥る可能性があります。まず、信じて求める姿勢を持って実践することです。

第二の敵は、「マンネリ化」です。祈りに対する新鮮さや純粋さ、切実さを失うと、形式化し曖昧になってしまいます。

第三の敵は、「継続しないこと」です。一時的に熱心に祈ることができても、継続することは簡単なことではありません。信仰生活は、ある一瞬の時だけでなく、ある一定の期間を継続する「精誠」が必要です。

②祈りは「祈闘」

祈りは神様との対話ですが、それを邪魔する勢力が存在します。その勢力の主体はサタンであり、サタンの支配下にある悪霊人です。祈りを通して神様に通じることをあきらめさせ、Uターンさせようとサタンは働いてきます。サタンの妨害をいかに突破するかが、祈りを突破していく秘訣になります。

第一に、祈っていくと、まずやって来るのは「眠気」です。不思議なことに、祈り始めると眠くなり、祈りをやめるとスッキリする現象があります。

第二に、「雑念」がわいてきます。あることを祈っているはずなのに、ふと気がつくと、全然関係のないことを考えているのです。祈りが雑念で紛らわされてしまっているわけです。

第三に、「不急の用事」を思い出します。祈っている途中で、「そういえば、あの人に電話しなければいけない」「洗剤を買ってくるのを忘れた」など、祈りとまったく関係のない用事を思い出して、祈りが散漫になったり、祈りを途中で切り上げて、その用事をしようとします。よく考えると、少し遅れても全然影響のないことなのですが、サタンにやられてしまっているわけです。

第四に、「重圧感」という形で来ます。祈っているとある霊的な圧迫感がきて、何かいたたまれないような気持になり、早く祈りを終えたい、早くこの場を去りたい、という思いに追い込まれます。

第五に、「焦燥感」です。「祈っても通じないのではないか」「祈るよりも行動した方が良いのではないか」「集中できなければ、祈っても意味がないのではないか」など、様々な葛藤の思いが湧いてきてイライラしてきます。

このような形で、サタンは私たちに妨害を仕掛けてきます。その目的は、私たちが神様に通じようとすることをあきらめさせるところにあるのです。まぜなら、飢え渇ききった私たちの魂がひとたび神様に出会い、生きて働く神様、心情の神様、親なる神様の深い愛に実感として触れた時、もはやいかなるものをもってしても、その神様と私との関係を引き裂くことはできないことを、誰よりも知っているのがサタンだからです。最終的には神様の心情を知らせず、親の愛を味わわせないために、サタンは働いてくるのです。

 

「祈祷するのはサタンを屈服させるためです。サタンを追放することが問題です。神様と直接一つになってサタンを追放しようというのです。人が良心を中心として完全に一つになれば、サタン以上の位置に上がっていきます。堕落したアダムとエバ以上の位置に上がっていくので、サタンを追放できるというのです」(文鮮明先生御言選集 275-309 1996. 1. 1)

 

③具体的な闘い方

(1)絶対に眠らない

絶対に眠らないことが第一の努力目標です。疲れている時はあればあるほど、立って祈るなど、眠らないための具体的な工夫が必要です。

(2)力の入る姿勢で祈る

祈りは闘う姿勢が必要なので、膝をついて頭を下げて祈るなど、力の入る姿勢で祈らなければなりません。

(3)渾身の力で切実な心情で祈る

姿勢が大事であるとともに、霊肉合わせて渾身の力を込めて祈ることが必要です。切実な心情をかき集め、「天の父母様」と呼びかけるのも万感の思いを込めて捧げます。集中すればするほど早く突破口が開けて、深い祈りに入っていけるからです。

(4)三つの注意点と克服

第一は、「意識を鮮明に保つ」ことです。祈っていると意識がボーッとぼやけてしまう場合があります。その時には、目を開けて現実世界を見て、「自分は今何を祈っていたのか、何をしたいのか」と、もう一度はっきり確認してみます。

第二は、「言葉の空回りをなくす」ことです。ずっと祈っている時に、途中でふと気づくと、口ではお祈りしているつもりでも、自分の意思とは関係のない言葉を繰り返している場合があります。このような時は、いったん祈りを抑えて、自問自答します。「お前はいったい、今何をやっているのか。自分は何を一番訴えたいのか」。このように自分の本心を確かめ、意思を確認した上で、また言葉を出し始め、祈りを再開するようにします。

第三は、「人に聞かせる祈りになっていないか」です。祈祷会や礼拝など、代表報告祈祷を担当する時などは、いつしか黙祷して聞いている他の人たちに聞かせる祈りになる場合があります。祈りは神様に向かって捧げることであり、その本質からずれないようにしなければなりません。

 

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