「祈り」こそ最も威力あるもの! ~不可能なことを可能にする力~ (第2回)

家庭教育局長(執筆時) 阿部美樹

 

◆祈りの内容

 堕落人間の祈りは、「~してくださいませ」「~になりますように」という願い事が多くなる傾向があります。これは「僕の祈り」「幼な子の祈り」です。素直に率直な本音を打ち明ける祈りではありますが、その動機は「自分」です。神様との心情的親子の絆を築くためには「孝情の祈り」が大切です。孝情の息子・娘の祈りの動機は、自分ではなく「神様」です。皆さんは、「神様のためにお祈りをしたい!」と祈り始めたことはありますか?

 

「神霊の世界に入って祈るなら、まず神様のために祈らなければなりません。主人に会う時間なので、主人の福をまず祈らなければなりません。そのようにしてから、イエス様のために祈らなければなりません。神様のために祈ってこそ、歴史的な神様の心情が分かります。(天一国経典『天聖經』第十一編 第二章 第一節 13)

 

「祈祷というものは、心と体を神様の前に捧げることです。物を神様の前に捧げるのではなく、自分の心と体を完全に神様の前に捧げるための精誠の時間が、祈祷の時間なのです」(文鮮明先生御言選集28-25 1970. 1. 1)

 

  • 感謝の祈り

孝情の信仰生活の基本は「感謝」であり、祈りも神様の深い愛に対して「感謝」することが最も重要です。良い出来事、良い人との出会い、幸せな感情の時は、「神様の贈り物」として受け止め、感謝の祈りを捧げます。しかし、良かったことや嬉しい時だけ感謝するのではありません。嫌な出来事、嫌な相手、嫌な感情だとしても、その背後にある神様のみ意を尋ね求めながら「今の私に必要なことなのかもしれない」と受け止めて、「神様の試練・訓練」として感謝の祈りを捧げます。どんなに悩んでいる大変なことあったとしても、感謝の祈りを捧げていくのです。いくら願わない出来事だとしても、その背後に私たちの愛の成長のために与えた神様の摂理があるからです。感謝の祈りを捧げてこそ、神様の愛に相対基準を結ぶことができるのです。

  • 報告の祈り

次に、現実に抱えている状況を報告します。本来は「善なる実績報告」を神様に栄光と喜びでお返しすることが望ましい祈りです。祈りは言葉だけでなく、実践して報告し、報告したことが実績として残ります。しかし、現実の抱えた課題や問題、困難などであっても、率直に、素直に報告していきます。外的な報告だけではなく、そこに直面した自分の気持ちも報告します。正直に打ち明けていく姿勢こそ、神様は喜ばれます。

  • 悔い改めの祈り

何か問題や課題に直面した時に、「何が原因なのか?誰が問題なのか?」という「犯人捜し」をする場合があります。そして、その犯人を自分以外の人から探そうとする傾向があります。その犯人が明確になれば、その人に対する「要求と裁きの思い」があふれていくことでしょう。しかし、信仰者の最も大切な姿勢が、「責任心情」です。すべての出来事に対して、「私の心の反映である、相対基準である」と見つめて、自分自身を変化させよう、成長させようとする「悔い改め」の姿勢こそ、天一国主人になる姿勢です。常に悔い改める人こそ、愛の感化力の高い人になります。

また、自分の足りなさを率直に祈る姿勢が大切です。「私は、以前このような人間でした。このような時もあり、このような時もありました」と過去を悔い改め、現在を悔い改める人こそ、内的に生まれ変わる人です。

  • 執り成しの祈り

病気になった人の快復を願って祈ること、困難に直面して苦しんでいる人が乗り越えられるように祈ること、神様の前に友人が犯した罪の赦しを請い求めることなど、周りの人の為に捧げる「執り成しの祈り」です。伝道したい人の為に「神様との出会い」や「み言との出会い」のために祈りの精誠を捧げるならば、不思議な巡りあわせの中で伝道されることが多くあります。十字架上のイエス様が、ご自身を殺そうとされた者たちを憎むのではなく、その罪の赦しを請い願う執り成しの祈りをされました。敵をも愛する貴い祈りでした。私たちも身の回りの人の為に執り成しの祈りを捧げていきましょう。

  • 願い求めの祈り

個人や家庭のことから、国や世界のことまで、あらゆることに及びますが、自分が願い求めていることを神様に訴えるのが「願い求めの祈り」です。この時、気を付けなければならないのは、自分の責任分担を無視して「幸せを与えてください」「現状を良くしてください」「相手の変えてください」という結果だけを求める祈りにならないことです。それよりも、「私に絶対変わらない信仰を与えてください」「絶対的な知恵を与えてください」「完全な愛を与えてください」と祈るなど、自己の責任分担を果たせるように精誠をささげる姿勢が重要です。

  • 決意の祈り

神様の恵みを得て、再び出発できることを感謝し、「きょう一日(あるいは一週間、一ヵ月間)、新たな気持ちで頑張ります」という決意を神様に伝えます。その決意を神様は覚えていらっしゃるので、祈った私たちも決して忘れたり、変わったりしてはいけません。祈りは、「神様との約束」でもあります。「神様を信じる」精誠を土台に、「神様から信じられる私になる」ことが信仰生活です。「この道をどんなことがあっても行きます」と決意した誓約を、孝情の動機で捧げる私たちになりましょう。

 

「先生は、祈りが最も威力のあるものと信じています。不可能を可能にすることができるからです。統一教会では祈りを強調しますが、ほかのう特別な方法で祈るのではありません。しかし、その内容は異なるのです。「自分自身のために祈ってはいけない」というのが先生の教えです。自らの使命のために、そして他の人のために、また自分の祈りが慰労の言葉として神様に伝えられるようにしなさい、と教えています。(天一国経典『天聖經』第八編 第二章 第四節 19)

 

「祈祷は、必ず成し遂げられます。祈祷することによって力を受け、祈祷することによって、今後この問題がどのように展開していくのかという展望が、すべて教えられるというのです。「このことはこのようにして、このことはこのようにする」と教えてくれます。それを知ってこそ、皆さんが大きなことができるのです。祈祷してこそ、その道を開拓できます。祈祷は御飯を食べることよりも重要だ、ということを知らなければなりません」(文鮮明先生御言選集104-111~112 1979. 4. 15)