[バックナンバー] シリーズ会長メッセージ 第84回 信仰の原点に帰ろう!

全国の天の父母様聖会世界平和統一家庭連合の会員、食口並びに祝福家庭の皆様、こんにちは。

2020年の6月の末を迎えております。本日は、過ぎし2013年1月13日に、本来ならば真のお父様が地上におられて、真のお母様と共に基元節を宣布されるはずでありましたけれども、残念ながら2012年9月3日に真のお父様は聖和されました。したがって、真のお父様を代身し、真のお母様が2013年1月13日に基元節を宣布されて、そして2020年までのVision2020の具体的な目標を定めて、7年路程を歩んでこられました。

そして去る2020年2月6日の日に真のお母様は、内的には天寶入籍の家庭が地上に現れたその条件、そして7か国復帰の条件、この2つの条件が全うされたという、勝利圏の土台の上に、天一国安着を宣布されました。

もちろん、真のご家庭におけるお孫様の立場にあられる文信出様と文信興様の、お孫様の祝福式も、大きな天一国安着を決定づける内的な基台となったことは間違いないと思います。

さて、2020年までの7年路程がいったん終結して、これからいよいよ2020年から2027年に向かう新しい神統一世界安着のための、天一国安着のための新たな7年路程が真のお母様から打ち出されました。

この新しい7年路程を出発するに当たりまして、何と言っても、新しい山に登るためには、いったんは谷底に下りなければなりません。かつてお父様が「人事異動というものが人を成長させるんだ」と、このようなみ言を何度も語られまして、人事異動のたびごとに、次のようなみ言を語られたのを、今でも私は新鮮に覚えております。

「小さなお山のてっぺんに立っているある責任者が、さらに、より内的にも外的にも高い山に登ろうとすれば、より高みの境地に立つような、より偉大なリーダーになろうとすれば」。要するに、小さな山から大きな山に登らないといけない。それは人生においては、ロープウエーというものはないというんですね。したがって、「小さな山から大きな山に登ろうとすれば、いったん下りないといけない。その、谷底に下りて、そしてより大きな山に、もう一度、登り直さなければいけない」。

ところが、皆さんも分かるように、大きな山であればあるほど、その谷は深いわけであります。したがって、新しい出発をする。そしてより高い境地に私たちが立とうとすれば、具体的に、より大きな勝利圏を目指して、より高い目標を掲げて、私たちが勝利していこうとすれば、より深い谷底にいったん下りるという意味において、過去の7年路程を悔い改め、反省して、そして信仰の原点に立ち返って、新たな山に向かって登り始めなければなりません。

そのような意味におきまして、きょうは、「信仰の原点に立ち返りましょう」というタイトルで、純粋な説教をさせていただきたいと思います。

説教のポイントとして、三つ、お話をしてみたいと思います。

第一番目は、私自身ももうかれこれ信仰歴が本当に長くなってまいりました。1971年に入教してから数えますと、ほぼ50年近くになろうとしております。

その50年間を振り返ってみて、改めて、多くの先輩たち、また多くの同輩たち、多くの後輩たちが今も頑張っている先輩や同輩や後輩ももちろんたくさんおられます。しかし、私が尊敬してやまない、本当に尊敬し、慕っていたような、リーダーをしておられた方も、残念ながら、途中でさまざまな試練に遭って、その試練を乗り越えずして、単純に離教された方もおられますし、残念ながら分派に行ってしまわれた方もおられます。

そういう先輩のお姿や、また同輩の姿や後輩たちの姿を見ながら、一つの教訓として、改めて感ずる、ある一つの核心的な信仰のポイントがあります。それは何かと申しますと、「愛の減少感の試練」というものが、どれほど偉大なリーダーであっても、これを乗り越えることは本当に簡単ではないということであります。

天使長ルーシェルも、皆さんもご存じのように、愛の減少感がきっかけで、その愛の減少感を埋めるべく、自らの愛の相対を求めて、いわゆる非原理的な相手であるエバに、非原理的な愛を注ぎながら、誘惑をし、最後は堕落をしてしまいました。そして、結果的にはエバを通してアダムまでもが堕落をして、人類の、正に真の父母となるべきアダムとエバを失ってしまったわけであります。天使長ルーシェルのきっかけも、愛の減少感でありました。

じゃあ、愛の減少感はどこから始まるのかと、こう考えてまいりますと、実は、「比較」であります。

天使長ルーシェルも、アダムとエバが創造されるまでは、神様の愛をマンメン【満面?】に受けていた、正に祝福の基(もとい)のような立場に立って、愛の限りを注がれていたのが、天使長ルーシェルであります。しかし、アダムとエバが創造されて、神様が、アダムとエバをこよなく息子・娘として愛する姿を見ながら、強烈な愛の減少感を感じたわけであります。

したがって、比較そのものは、善でも悪でもありません。ちょうど、欲望というもの自体が善でも悪でもないと、『原理講論』に書いてあるとおりであります。

目的性によって善悪が決定します。自己中心的な動機と目的で、その欲望というものを発揮すれば、それは悪になってしまう。しかし、善なる目的、善なる動機で、欲望というものを発揮した場合には、むしろ欲望のゆえに人は向上し、欲望のゆえに人は成長もいたします。したがって、欲望そのものも善でも悪でもない。

同じように、比較そのものは善でも悪でもありません。簡単に言えば、100メートル競走。一人で走って記録が伸びるかと、こう考えてみると、そうではありません。ウサイン・ボルトのような、世界屈指のそういうランナーと共に走ってこそ、記録は伸びるわけでありますから、比較そのものは善でも悪でもない。切磋琢磨という言葉もございます。

しかし問題は、その比較によって、勝利すれば人は自信を得、また喜び、その栄光に浸る、そして本当に、有頂天になったり傲慢になることもあるでしょう。問題は、負けたときに、その負けをちゃんと受け止めて、甘受して、「ああ、もっと頑張ろう」と、純粋に奮起すれば問題ないのでありますが、この、負けたことをもって、勝った人をねたんだり、嫉妬したり、その人の足を引っ張ってみたり、あるいは、そのように成功した人や幸せな人を見て、ついつい羨ましくなって、その人にいじめをしてみたり、あるいは、過剰な劣等感、過剰な自己嫌悪感によって、自分を責めたり、そして自暴自棄に陥ったり、最悪、自殺に至るなんていうことは、この世の中にはどれだけでもあるわけであります。

で、私たち、信仰の道を歩む者としては、やはり、「比較」は、基本的に禁物であります。信仰の道は、それぞれ天に向かって、天と我、天と私たちの家庭、このような視点で、よそ見をしないで、人とあまり過剰に比較しないで、歩むべきであります。

と言いますのは、個人が背負っている蕩減も家庭が背負っている蕩減も、これは全く違います。育った環境、また家庭環境、そしてまた歴史的な先祖から引き継いださまざまな蕩減的内容というものは、本当に個人差があります。

したがって、ある人はどうしてこんなに恵まれ、私の人生はどうして恵まれないんだろうか。ある人は祝福を受けて、ぼんぼん子供が生まれて幸せな家庭を築いている。うちはどうして、祝福もなかなかうまくいかない。あるいは祝福は何とかうまくいったとしても、子供が生まれない。あるいは家庭で、ある人が交通事故で亡くなった、あるいは癌で亡くなった。人と比較したら、私たちの人生はきりがありません。

その意味において、きょうは、いちばん最初に、信仰の基本は、比較をしない。あくまでも、天と真の父母を見詰めて。

横的に人と比較しながら、そこに一喜一憂したり、過剰な愛の減少感を感ずることは、決して信仰生活にとってプラスではないということであります。そして、比較をし、過剰な愛の減少感を感じ、そこから、ついつい人を恨んでみたり、ねたんでみたり、あるいは不平不満をもってみたり。それは決してよくありません。

また、聖書にも書いてありますように、「つまずきの石は決して大きくない」ということであります。

このみ旨の道を振り返ってみましても、原理につまずいて離れる人はほとんどいません。真の父母様につまずいて離れる人もほとんどいません。

誰につまずくのか? 身近な上司、アベルであったり、身近な牧会者であったり、あるいは身近な婦人代表であったり、身近な兄弟姉妹たちとの人間関係でつまずいて、そして最後は教会本体を不信したり、あるいは教会という組織を不信したりして、信仰を失ってしまう人がどれほど多いか分かりません。

したがって、離教の原因や分派に行ってしまう理由は、その出発点は極めて小さな石であります。原理そのものに対する不信感、真の父母様に対する不信感に至ったのであれば、これはもう、どうすることもできないぐらいの根本原因ということになります。

しかし、それで、この永遠のみ旨の道を失った人は、私は、本当に少ないという現実を見てまいりました。兄弟姉妹につまずく、上司につまずく、あるいは教会の中での心ない言葉につまずいて、永遠の生命(いのち)を失ってしまうということが、実際にあるわけであります。

したがって、もう一度改めて、私たちは天の父母様と真の父母様をしっかり見詰めて。

それが信仰の道の基本であり、比較することによって、過剰な愛の減少感や、あるいは劣等感や、そこから不平不満や、あるいは恨んでみたり、そういうふうにならないように、くれぐれも比較しないこと。

そして愛の減少感を感じた時ほど、私たちは天の父母様と真の父母様を見詰めて、その心情圏に至らなければなりません。

成功した人、あるいは幸せな人、そういう、人の幸せや人の成功を心から共に喜んであげる。また逆に、不幸に陥った人、病気になった人、事故に遭った人、あるいはさまざまな身体のさまざまな支障のある方、そういう人たちに、本当の意味で、兄弟として寄り添ってあげるためには、何が必要でしょうか。

結局それは、親の心情圏に立たない限りは、兄弟の痛みを共に自らの痛みとして感ずることもできないし、また逆に、この、親の心情圏に立たなければ、残念ながら、人の幸せや人の成功を共に喜んであげることは難しいわけであります。

その意味でも、「天の父母様と真の父母様をしっかり見据えて、そこに私たちの信仰の究極があり、それが正に、信仰生活のアルファでありオメガである」と、このように理解していただいて、父母の心情、神様の心情、天の父母様の心情、そして真の父母様の父母の心情に至ることによって、兄弟姉妹たちの成功や幸せを共に喜び、また逆に、兄弟姉妹たちのさまざまな不幸や痛みを、共に寄り添ってあげて、痛みを同感してあげる、本当の意味で分かち合う、そのような心情圏の持ち主になるように、共に努力してまいりましょう。それが第一点目であります。

第二点目は、きょう、私は皆様に2つの聖句をご紹介したいと思います。一つの聖句は、ルカ福音書の7章36節から50節であります。もう一つの聖句は、ヨハネ福音書の21章15節から19節であります。時間の関係上、この聖句を全部読むことはできません。

第1番目の聖句は、ルカの福音書7章36節から50節は、「イエス様があるパリサイ人の家に入った。その食卓に着いた。すると、罪の女と言われる女性がイエス様のそばにやってきてそのイエス様の足を、涙を流して濡らし、自らの髪の毛でぬぐい、そしてそのイエス様の足に接吻をして、そして高価な香油を塗った」と、そういう場面が出てまいります。

そうすると、周りのパリサイ人や、あるいは弟子たちも、「どうしてイエス様は、こんな罪の女に、自分の足をそのように触らせるのか」と言って、不信を抱いた。

そしたら、イエス様がシモン・ペテロに質問をします。

「シモンよ」と。「2人の人間が金貸しからお金を借りていた。一人は500デナリ、一人は50デナリ。二人ともお金を返せないということで、やむを得ず、金を貸していた人が許してあげた。もう金を返さなくてもけっこうだと。そしたら、この二人のうちのどちらが、この金貸しに対して、心から感謝し、ありがたく思うだろうか」という質問をいたします。
シモン・ペテロは「もちろん、多く許されたほうだと思います。500デナリを返さなくてもいいと言われたほうが、より多くこの金貸しを愛すると思います」というふうに答えます。
そうすると、イエス様が「そのとおりだ。したがって、この女は罪の女でありながら、私のことを本当に愛した。自分が救われたという実感をもったがゆえに、私のことをより多く愛した」。

自分が多く許されたと思ったその度合いに応じて、より多くメシヤを愛し、そして救世主を愛し、再臨主を愛するようになるんだという意味であります。

これを私は、信仰の一つの原点のある核心を説く聖句であると、理解をしております。

すなわち、私たちがこのみ旨の道に入ってまいりました。統一教会、家庭連合に入教いたしました。そのときに真の父母様にお会いしました。そのお会いすることによって、自分が罪人(つみびと)から救われた。そして原理を聞き、真の父母を知り、そして祝福の恩恵に与って本当に救われた。その救いの実感の度合いが深ければ深いぶん、真の父母様に対する感謝の思いがより深く、私の内面から湧き出ずる。そして、ゆえに真の父母様をより多く愛するようになる、ということであります。

もう一度、私たちが新たな7年路程を出発するに当たって、本当に「自分は、このみ旨の道に来て、どの程度、救われたという実感をもっているのか」、これを改めて吟味する、自らの心の世界を整理する絶好の、私はチャンスであると思っております。

改めて、このみ旨の道に来て、本当に自分たちは救われた。その恩恵に対して、もう一度噛み締めて、確認をして、その救われたという実感の、感じたぶんだけ、ご父母様を私たちが愛していかなければいけないと、このように思う次第であります。

それでは、三番目のテーマに入ってまいりますが、ご父母様をより多く愛するとは、どういうことでしょうか。その、ご父母様を愛するという面において、私は、2つ、きょうは強調してみたいと思います。

真の父母様を愛する。じゃあ、真の父母様を愛するということは、どういうことだろうか。何をもって、真の父母様を愛することになるだろうかと考えてみますと、一つは、やはり「み言を愛する」。ご父母様の血と汗と涙の結晶であり、サタンとの壮絶なる闘いの戦勝記録と言われますみ言。このみ言が私たちの生命であります。「神霊と真理によって私たちは神に至る」と、このように『原理講論』でも説かれています。

したがって、み言は、神に至る生命であり、正しい本然の道を行く道しるべであります。そのみ言を学ぶ。そのみ言という意味において3つ、私がみ言を推薦申し上げたいと思います。

第1のみ言は、何と言っても、天一国三大経典であります。この天一国三大経典を、ぜひ皆様も訓読をしていただきたいと思います。

天一国三大経典には、お父様のみ言、お母様のみ言がございます。取り分けても、お父様のさまざまな歴史的なみ言がございますので、このみ言をお読みになることを、お勧めいたします。

そして2番目には、お父様が特に、聖和されて以降は、お母様が地上の摂理の最終責任者であります。したがって、そのお母様が語られるその時その時の摂理的なみ言がございます。その、お母様のその時々の摂理のみ言、これを学ぶ、ということが極めて重要であります。

お母様と一体化するうえでも重要でありますし、お母様の心情、事情、願いを知る上においても、お母様のみ言を理解するということは、極めて重要であります。

そして3番目は、つい先日発刊されました「真のお母様の自叙伝」であります。自叙伝を読んだ多くの食口や責任者たちの共通した感想は、「お母様を知らなかった」と。

「あまりにもお父様の存在感が大きかったために、地上にお父様がおられたときには、お母様というと、お父様に従順に従っていく内助の功に徹しておられた。そのお母様というイメージはありましたけれども、お母様そのものを、我々は本当に知らなかった。

この自叙伝を通して、お母様という存在が、本当によく理解できるようになった。正に、天がお父様を準備したように、お母様も準備して、お二人が出会われるように導かれたんだということを、自叙伝を通して初めて知りました」という感想が、ほとんど共通した感想であります。

したがって、私たちが天の独生女、独り娘であるお母様をより深く、より正しく理解する上においても、また正しい真の父母観、正しい独生女観というものを自らの中に確立する上におきましても、このお母様の自叙伝をぜひお読みいただけるように、お願いしたいと思います。

そして、そのお母様の自叙伝を読み、またお母様の摂理のみ言や、お父様の語られた天一国三大経典のみ言を通して、私たちは真の父母様を全人類に宣布して、伝達していく。

したがって、2番目にご紹介を申し上げたい聖句は、ヨハネの福音書21章15節から19節。ここにはイエス様がシモン・ペテロに対して、「シモン・ペテロよ。ほかの人たちが私を愛する以上に、あなたは私を愛するか」という質問をされます。

ペテロは、「もちろんです。私があなたを愛していることは、あなたがご存じじゃないですか」、そのように答えます。そうすると、イエス様が「であれば、あなたが私を愛するというのであれば、私の羊を養いなさい」、このように答えます。

そして、そのやり取りがなんと3回、繰り返されます。「シモン・ペテロよ。本当にあなたは私を愛するか」「はい、愛しています」「であれば、私の羊を養いなさい」

すなわち、真の父母様を愛するということは、真の父母様の羊を養うということであります。

すなわち、霊の子をつくる。伝道の子女を立てる。これが天の父母様と真の父母様の、私たちに対する切実な願いであり、ご父母様を愛するということは、ご父母様の霊の子。究極的にはご父母様の霊の子であります。私たちの霊の子のように見えますけれども、結果的にはご父母様の霊の子であります。その霊の子を立てることを、2000年前のイエス様も願い、また真の父母様もそのことを切実に願っておられます。

したがって、現在、神日本におきましても、祝福家庭1家庭43冊の真のお母様の自叙伝を購入して、43冊をもって43家庭を伝道することを強く推薦しております。

どうぞ、この真のお母様の自叙伝、正にウルトラCと言っても過言ではない、最大の天の武器と言っても過言ではない、素晴らしい、伝道の武器としても破壊的な力をもっております。このお母様の自叙伝を最大限に活用しながら、どうか43家庭を一刻も早く、霊の子まで含めて43家庭を立ててまいりましょう。

今、天寶入籍勝利家庭が、日本におきましてはようやく200家庭までたどり着きました。お母様の第一段階としての日本に対する願いは2000家庭であります。縦横の430数を全うし、また210数の条件を全うし、そして天寶審査を通過して、それを合格した人たちが2000家庭、まず天の前に捧げたいというのが、お母様の願いであります。

まだそれから比べると、まだまだ10分の1であります。申し訳ない実績ではありますけれども、しかし着実に2000家庭に向かって、今、全国が頑張っております。

先日、1800双のある家庭の210数を勝利した証しもお届けいたしました。

そして、つい先日もある777双の婦人がお母様の自叙伝にいたく感動して、その感動の波動で、ご自分が今までケアをしていたさまざまなVIPたちに、なんと98冊、お母様の自叙伝を配布しながら、今、VIPたち、VIP伝道にも、大変燃えております。

本当に、自叙伝を読んで、感動した、その新鮮な感動をそのままエネルギーとしながら、霊の子を何としても立てて、その霊の子を立てることによって、霊の孫まで含めた43家庭を伝道し、そして横的な430家庭までも勝利して、天寶入籍勝利家庭になっていただきたいと思います。

どうか、もう一度改めて、信仰の原点として、きょうは三つ、強調いたしました。愛の減少感を乗り越える。そのためには、信仰の道の基本は、比較しない。天の父母様と真の父母様のみを見詰めて、横的に過剰に比較しない。

二番目は何と言っても、救いの実感をもう一度私たちは噛み締めながら、その救いの実感の度合いのぶんだけ、ご父母様を愛し、ご父母様の願いに応えていきたい。そのご父母様を愛するということは、ご父母様のみ言を愛することであり、三番目として、ご父母様を愛するということは、2000年前のイエス様とシモン・ペテロの会話に代表されますように、霊の子を立てる。伝道する。真の父母様を一人でも多くの人に証していく、ということであります。

どうぞ、この三点を強調させていただきました。共に、ご父母様の願いを本当にしっかりと受け止めて、そして伝道を爆発的に勝利せしめて、一刻も早く2倍化、3倍化をしながら、この神日本におきまして、揺るぎない救国救世の基盤を築いてまいりたい。

そして、天寶入籍勝利家庭を2000家庭、一刻も早く勝利していきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

共に頑張ってまいりましょう! 以上でございます。

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