五月二十一日、新宿家庭教会(東東京教区)に天の父母様聖会の方相逸・神日本大陸会長夫妻を迎えて、「李成萬副会長 兼 本部長 離任式」が行われました。全国を代表して先輩家庭、地区会長、教区長、教区婦人代表、本部職員などが集う中、方相逸・大陸会長がメッセージに立ち、李成萬副会長に対する真のお母様の願いを証ししました。(文責・編集部)
韓国人が、怨讐の国・日本で
歩むことを決断する難しさ
李成萬副会長、日本での三十六年間の歩み、本当にお疲れさまでした。今はまだ、寂しい気持ちでいっぱいです。
私が、真の父母様から日本宣教の願いを受けたのは、一九九八年、三十八歳のときでした。当時、私には幼い信仰しかなく、真の父母様の願いにもかかわらず、日本で歩むことに激しく葛藤しました。父が、徴用工として岩手の炭鉱で働いたことも関係します。私にとって日本は、正に怨讐の国だったのです。「怨讐を愛する」というみ言をたくさん聞いていましたが、日本への嫌悪感を拭うことは容易ではありませんでした。
私は、〝公職を降りよう。真の父母様の懐から離れさえしなければいいじゃないか〟などと考え、妻と三人の子供を連れて、一か月間、あちこちを回りました。しかし、〝真の父母様から託された願いなのだから、清平で祈って心を整理し、決意を固めるべきだ〟と思い直し、家族で二日修錬会に参加したのです。
清平で目をつぶって祈り始めると、心に訴えかける声が聞こえました。「おまえは教区長まで務めながら、何をしてきたのか! そんな中途半端な気持ちで食口たちを指導してきたのか!」。その声は幾度となく、私の態度をとがめました。私はそのたびに悔い改めの涙を流し、天に赦しを請うたのです。
修錬会後、私は坡州原殿を訪ね、文興進様の墓前で祈りを捧げました。
「祖国を捨てて、これから日本へ行きます。これは天命です。一か月悩みましたが、この場で全ての思いを整理し、命を懸けて頑張ってきます……」
いつしか私は、天の前に絶叫し、涙をとめどなく流していました。
真の父母様は韓国人に向かって、「日本を愛さなければならない」と強調してこられました。韓日が一つになるために、韓日・日韓の交叉祝福もしてくださいました。それでも、三十八年間暮らした祖国を捨てて、怨讐の国・日本に行くことを決断するのは、とても難しかったのです。
私が最も慕う「ヒョン」
李成萬副会長は、一九八六年から三十六年間、日本で血と汗と涙を流して歩みました。
皆さんは、朝鮮半島の歴史をよくご存じでしょう。「三十六年」というと、日本が朝鮮半島を統治した期間です。その時代の話は、私も親からさんざん聞き、歴史の授業でも繰り返し学びました。それはもう悲惨な歴史です。また、豊臣秀吉の時代に、日本は二度にわたって攻めてきました。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)です。罪のない多くの朝鮮人が殺され、日本へ強制的に連行されました。
現在も、これらの歴史問題は解決されず、両国は難しい関係が続いています。韓国では尹錫悦大統領を中心とした新しい政権が発足し、韓日関係の改善を掲げていますが、国民の中で歴史問題が再燃したら、どうなるか分かりません。
この問題に対して、唯一、解決の道を示せるのが、人類のメシヤ、真の父母様であり、その教えを実践する家庭連合なのです。
李成萬副会長は家族と共に、真の父母様に対する絶対信仰、絶対愛、絶対服従をもって、韓国人にとっての怨讐の地、日本を全力で愛し抜きました。その投入は、日本人の指導者、食口の皆さんの誰にも負けません。
李成萬副会長は、私が最も慕う「ヒョン(お兄さん)」です。もちろん、皆さんの前では「副会長」と呼びますが、個人的にはヒョンという呼び方がいちばんしっくりくるのです。
私には兄が二人いますが、二人共、四十九歳で亡くなりました。兄との心の交わりがぷつっと切れてしまったのです。それ以来、私が心を許せるヒョンはなかなか現れませんでした。
そのような中で、李成萬副会長と出会ったのです。六〇〇〇双の先輩家庭であり、日本宣教の願いを受けた韓国人牧会者の長兄の立場に立つ副会長には、どんな悩みも相談できました。それは、私が求め続けたヒョンの姿でした。
「兄」という漢字は、「口」と、人を表す「儿」で構成されています。〝頭の大きい人〟というところから「あに」の意味を持つようになったそうです。また、〝口で指導する年長者〟という意味もあります。李成萬副会長は、正に兄の立場で日本家庭連合を守り、食口、祝福家庭を導いてくれました。
模範的な信仰を示してくれたヒョン、李成萬副会長のように、真の父母様の教えを実践しなければならないとつくづく思わされます。
真のお母様と心情世界を
共有してきた李成萬副会長
五月十一日、真のお母様から呼ばれ、李成萬副会長と二人で天正宮博物館を訪れました。お母様は私たちを前にして、約二時間にわたり、真のご家庭のことをはじめ、これまで抱えてこられた悩みを打ち明けてくださいました。
人類の母であられる真のお母様は、広くて穏やかな海のように、私たち子女を受け入れてくださいます。しかし、心には寂しさを抱え、心情の十字架を背負っておられるのです。お母様は、ご自身の心情や事情を吐露しながら、私たちが、その理解者となるように願われました。それは、子女として光栄なことであるとともに、胸の痛みが伴いました。
真のお母様の近くで侍れば侍るほど、お母様のご苦労や胸の痛みに接することになるでしょう。李成萬副会長は、すでにそのような立場にあり、若い指導者たちには理解の及ばない心情世界を、お母様と共有しているのです。
このたび、李成萬副会長は、世界本部でHJ特別プロジェクトを担う「花鳥苑建立推進委員長」という役職が与えられました。皆さんの中には、〝副会長は詩をたしなまれるし、花や鳥と触れ合える優雅な施設をつくる責任者にふさわしい〟と考えた人もいるでしょう。現段階で、どのようなプロジェクトになるのかは分かりませんが、はっきりしているのは、真のお母様が副会長に、そばで侍るように願われたということです。
真のお母様は、「天正宮(博物館)に来て、私のそばで仕事をしなさい。国家の復帰、世界の復帰のために、私には秘書が必要です。国内外の摂理を把握して調整し、特に韓国の教会や機関、事業体のことを細かく把握して、私に報告してほしい」と訴えられました。
〝これまで、鄭元周・総裁秘書室長や尹煐鎬・世界本部本部長が、その役割を担ってきたのでは?〟と感じる人もいるでしょう。そのとおりですし、今後も、お二人が重要な役割を担っていくのは変わりません。ただ、天の摂理の終着を迎えようとするこの時においては、さらなる補佐が必要になったということです。
二人で真のお母様のもとに伺ったとき、傍らに新聞が置いてありました。お母様は、「李成萬、あなたの前にある新聞は、誰が読んでくれるの。私の目は、小さい字は読めないんだよ」とおっしゃいました。お母様は李成萬副会長に、国内外の情勢を観察し、情報を収集し、そのために必要な行動を起こす、自らの「目」「耳」「足」の役割を担ってほしいと願っておられるのです。
真のお母様は、「天正宮(博物館)に部屋が一つ空いているから、そこを使ったらいい。私と一緒に暮らそう」とまでおっしゃいました。ちょうど鄭元周室長が部屋に入ってきたので、いきさつを話すと、「お母様、その部屋は人が住む所ではありません。倉庫のようなものです。窓もないのに、どうやって暮らすのでしょうか」と助け舟を出してくれましたが、お母様はお譲りになりません。「大丈夫よ。夜に寝るだけだから。夜なら、どこも同じように暗いでしょう」とおっしゃるのです。李成萬副会長は、お母様のお申し出に恐縮し、床に膝をついて、こうべを垂れて懇請しました。
「私は、本当に足りない者です。お母様のおそばで侍る者は、りっぱでなければなりません。誰も批判することのできない、模範的な者でなければならないのです。私には三人の娘がいますが、まだ一人しか祝福を受けていません。もし、私のように不足な者がここにいれば、あちこちで批判の声が上がるでしょう。お母様にご迷惑をおかけすることはできません」
すると、真のお母様は、「家庭のことは心配要りません。あなたは、私のそばにいてこそ、問題が解決できると考えないのですか」とお答えになりました。
日本家庭連合が、真のお母様と
さらに一つになる道が開かれる
真のお母様は、李成萬副会長をどれだけ愛しておられるでしょうか。私が、少し話に加わらせてもらおうと思い、一言発した瞬間、お母様は、「あなたは入ってこなくていいのよ」と遮られました。
そのような真のお母様を前にして、それ以上、何も言うことはできないでしょう。李成萬副会長は、「はい、分かりました」と返事をしました。すると、お母様は安堵されたごようすで、「これまで、あなたが責任を持ってきたことを整理して、全て方相逸に任せて韓国に帰ってきなさい」とおっしゃいました。
皆さん、花鳥苑建立推進委員長という肩書きはありますが、その響きとは全く違う使命があるということをご理解ください。実際は、真のお母様の側近として、新たに歩み始めるということです。
ある面では、日本家庭連合の課題や現状を、李成萬副会長を通して真のお母様にお伝えすることができるようになると言えるでしょう。個人的には、さまざまな問題が起きても、「ヒョン、こんなことがあるのですが。あんなこともありました。お母様に伝えていただけますか」と相談できると期待しています。
副会長の本名は、「李基萬」です。真のお母様が、「李成萬」と改名してくださいました。そして、「あなたは、詩聖タゴールよりもりっぱだ」と称え、「ソンゴル」という作家名を下さったのです。インドのタゴールがどれだけ偉大で、世界的に有名な詩人だとしても、真の父母様から祝福を受けてはいません。人類歴史において最も重要な人物が真の父母様でしょう。そのようなお方から名前を授かったということは、どれほど名誉なことでしょうか。
李成萬副会長は、真の父母様と一つになって日本の兄弟姉妹に投入し、全国の教会の隅々にまで気を配り、日本家庭連合を守ってくれました。そのことを思うと、今後は、私や田中富広会長の肩に、大きくて重いものが、のしかかってくるような気がします。
母の国の使命を果たすため、日本の兄弟姉妹たちは世界貢献に尽力してきました。時には、家族の衣食住よりも優先して、世界貢献に精誠の限りを捧げてきたのです。その苦労を間近で見てきたのが、李成萬副会長でした。
皆さん、子女は親の喜ぶ顔を見たいものでしょう。ですから、指導者たちが、真のお母様を心配させるような報告ができると思いますか。実績が伴うときは、口から自然と言葉が出てくるのですが、厳しい状況に陥ったり、難しい問題に直面したりしたときに、報告をするのは簡単ではありません。しかし、李成萬副会長が、いつもお母様のお近くにいるのなら、そのようなことも率直にお伝えできるのではないでしょうか。
私たちが、清平で先祖解怨・祝福をするとき、それが世界貢献につながるようになりましたね。その道筋をつけたのが李成萬副会長です。宋龍天・全国祝福家庭総連合会総会長(当時)と徳野英治会長(当時)と共に、日本の兄弟姉妹の現状を包み隠さずに伝え、真のお母様に掛け合ってくれたのです。
天の運勢は真の父母様と共にある
今回、私と李成萬副会長、平和統一聯合の李昌模・事務総長が訪韓(5月7〜12日)しました。韓国の大統領就任式に参加するためです。そして、五月十一日に、国務総理(首相)が主宰する晩餐会に参加し、十二日に真のお母様にお目にかかった際、その内容を以下のようにご報告しました。
「昨日(5月11日)、約二時間にわたって、真のお母様からたくさんの教えを授かり、大きな運勢を頂きました。そのため、晩餐会においても、この運勢のもとで恵みを受けるのは間違いないと思っていました。
実際、尹錫悦大統領や国務総理、長官や国会議員、日本の民団の団長や元団長など、超VIPたちと会うことができました。全て準備されていたのです。私の人生、六十年をかけても持つことができなかった人間関係を、晩餐会のたった二時間でつくることができました。天の摂理のスピードに驚くばかりです」
真のお母様は、ほほえまれ、とても喜んでおられました。
神統一韓国の実現、世界の復帰のために、母の国に対する天の願いは、ますます大きくなっています。その願いを果たそうと、み旨の道を走り続けている日本の祝福家庭、食口たちは、本当に偉大な方々です。
真のお母様が全身全霊をかけて建設を進めてこられた天苑宮の奉献まで一年を切りました。お母様は私に、「方相逸、これから李成萬はいなくなるけれど、あなたが十倍、百倍、もっと頑張るんだよ」と語り、激励してくださいました。私は共に歩む皆さんを信じ、日本家庭連合を代表して、「はい! 十倍、百倍、頑張ります!」とお答えしました。
きょうは、韓国を訪問している米国のバイデン大統領と尹錫悦大統領が首脳会談を行う重要な一日です。その歴史的な一日に離任式が行われたことに深い意味があると思います。
地区会長、教区長、教区婦人代表の皆さん、李成萬副会長の離任の挨拶を心にしっかりと刻み、歩んでまいりましょう。私たちが元気にみ旨に励むことで、真のお母様をお守りすることができ、李成萬副会長にも安心していただけます。頑張ってまいりましょう。