田中富広会長のメッセージ
拝読の聖句(ロマ8・12〜18)
それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
リード文
二〇二五年十一月二十日、東京・渋谷の松濤本部で、第六十六回「真の子女の日」、第三十八回「天宙統一国開天日」を祝賀する敬礼記念式が行われました。説教に立った田中富広会長(当時)は、真の父母の勝利圏によって立てられた天の子女の使命について説明し、「私たちしか、真のお母様の夢を果たす者はいません。そのことを自覚して、新しい出発をしていきましょう」と参加者に呼びかけました。(文責・編集部)
本文
真の父母によって、堕落人間が神の血統に重生される基準が立つ
第六十六回「真の子女の日」、第三十八回「天宙統一国開天日」、おめでとうございます。この貴い名節の日を迎えられたことに、改めて感謝の拍手を送りましょう。
「真の子女の日」は、四大名節の一つです。四大名節は、人間始祖アダムとエバが聖婚したときに同時に制定されるべきでしたが、ふたりが堕落することで、それは成されませんでした。
真の父母様は、天の摂理の中で勝利圏を打ち立てながら、それらの名節を一つ一つ取り戻してこられました。そして、真のお母様のご指導により、「天の父母様の日」と「真の父母の日」は、真の父母様のご聖婚日に合わせて祝賀されるようになりました。
これは私見ですが、「真の子女の日」と「真の万物の日」も、二〇二七年に迎える第六十回「天の父母様の日」に合わせて、一緒にお祝いするようになるのではないでしょうか。
私たちは毎年、「真の子女の日」を迎えます。そのたびに、子女としてのあるべき姿や、子女としての自覚を、新たにさせられていることと思います。きょうは改めて、この日を迎えて感じるところを皆さんと共有したいと思います。
個人的に、「真の子女の日」は、同じ四大名節である「天の父母様の日」、「真の父母の日」、「真の万物の日」とは、何か少し違うような気がします。自分が主体となって考え、受け止めやすいように感じるのです。名節の名称に「子女」という文字が入っているからかもしれませんが、〝私自身が天の子女の位置に立たなければならない〟と責任を自覚し、与えられた立場を素直に受け止めることができるのです。
四大名節は真の父母の勝利圏によって定められたので、「真の子女の日」の主体も、間違いなく真の父母です。その視点を欠かしてはなりません。そのように見詰め直すと、印象が違ってくるはずです。
「家庭教会手帳」の便覧には、「真の子女の日」の意義について、「堕落人間が真の父母によって神の血統に重生される基準が立ったことを宣布した日」と説明されています。
真の父母の勝利圏によって、全ての堕落人間がサタンの血統から神の血統に重生される基準が立てられました。真の父母が主体であるというのは、そういう意味です。全人類が神様のもとに返る道は、すでに整えられています。
天の恩恵により与えられた位相で、どのような決意を持って生きるか
それでは、皆さんと共有したい三つのポイントについて説明します。
一つ目は、「真」という文字の重みです。
「真」を使うということは、「偽り」との決別を意味します。「偽りの子女」であることに別れを告げ、「真の子女」として歩む道が切り開かれたということです。
これはある意味、私たちに一方的に与えられた恩恵です。「真」の基準は、あくまでも真の父母にあります。神の血統に重生されたという基準も、真の父母によって立てられたのであり、私たち自身が、その位置にふさわしい身とは、あまりにもかけ離れた存在であることは言うまでもありません。
皆さんが祝福を受けたからといって、目に見えて、何かが突然変わったわけではないでしょう。こういう言い方をすると、何か冷めたように感じるかもしれませんが、自分が祝福を受けた瞬間を思い返してみてください。
アダムとエバは、堕落したからといって、何か変化した自覚があったと思いますか? 顔面蒼白になったぐらいではないでしょうか。
私たちは祝福を受け、表面上、何か変わったことはありません。しかし、神の血統に重生された位置に置かれたのは明白です。それを自覚できていようがいまいが、その位置は神様が「真」の基準で定められたことを忘れてはなりません。
私たち祝福家庭に求められているのは、祝福を与えてくださった父母の前に、その父母の位相にふさわしい子女となる選択をすることです。
祝福を受ければ、神の血統に重生された位置に立つことは間違いありません。しかし、その位相を守って生きる決意をしているでしょうか。その生き方を選択することが、子女として求められている基準だと思います。天の恩恵によって賦与された位相で、どのような決意を持って生きていくかが問われているのです。
例えば、秋篠宮家の長女である小室眞子さんは、皇室に生まれ、内親王殿下という立場が与えられました。しかし、生涯、その立場で生きていくかどうかは、本人が選択することです。眞子さんは皇籍を離脱し、民間人として生きていく道を選びました。秋篠宮ご夫妻の長女であることに変わりはありませんが、内親王殿下としての位相で生きていくことはやめたのです。
全人類を懐に抱くお母様の決意
真のお母様は今、韓国・ソウルの拘置所に拘束されていらっしゃいます。そのような状況でも、文信出様・文信興様は、天愛祝承子として歩む道を選択されています。お二人の姿を拝見して感じるのは、ご自身のアイデンティティーをつかみ取り、それを力にしながら、自らの生きる意味を見いだしていらっしゃるということです。
一昨日(2025年11月18日)、私は、信興様と共に拘置所の真のお母様をお訪ねしました。そのとき、信興様の思いや心情はどこにあるのだろうかと思いながら過ごしたのです。信興様は、目の前にいらっしゃるお母様のお姿ではなく、お母様が持っていらっしゃる、天の独り娘、ホーリーマザー・ハンという本来の位相にご自身の位相を合わせていらっしゃいました。そこに照準を合わせて道を選択されたことが、波動から伝わってくるのです。
真のお母様は、私たち子女に向かって何度も、「あなたたちは私の直系です」と強調されています。私なりの表現をすれば、これは、お母様の強烈な〝決意表明〟です。自らの直系にするという宣布は、自分は父母であるという宣布でもあります。〝あなたたちは私の直系なので、絶対に捨てない。あなたたちは、そのことをどう受け止めるのか?〟、この強烈な問いかけに対する答え、そして決意を、私たちに迫っていらっしゃるのです。
真のお母様はピュアウォーターたちの育成に心を注がれています。「直系」という言葉には、覚悟と父母の心情が込められているのです。そこに「真」の基準があります。
いずれにしろ、「真の子女の日」が立てられたのは、真の父母が立ったからです。真の父母が立たれていることに深く感謝しながら、この一日を迎えていきましょう。私たちには、ただただ感謝しかないのです。
相続人とは、どのような存在か
第二は、子女としてのアイデンティティーと責任です。
現代社会で生きる多くの若者は、自分たちがどこから来て、今どこにいて、どこに向かおうとしているのかを見定めることができていません。そのような状態のまま、多様化する価値観の中を流されていくのです。
一方で、二世たちは、自らのアイデンティティーが真の父母に起因することを知っています。そして、自分がどこから来て、今どこにいて、どこに向かっているのかをはっきりと理解しているのです。その姿に希望を感じます。
二世たちが世の中に出ていくとき、自らの立ち位置を知っていることは強みになります。アイデンティティーが明確な二世たちの言葉には力が宿り、世の中で敬遠されがちな信仰や純潔を貫く生き方についても、確信を持って訴えることができるのです。
その先頭を切っている「N.A.B.I」のメンバーたちは、一世の信仰への尊敬の念を堂々と証しします。また、両親に対する感謝の念を公言しています。世の中に向かって、はばかることなく発せられる二世たちの言葉、その力強さの源は何でしょうか? それは間違いなく、彼らが自らの立ち位置を知っているということです。
きょう、司会が拝読した聖句です。
「御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない」(ロマ八・16〜18)
この聖句に「相続人」という言葉が出てきます。み霊によって証しされているように、私たちは神の子女です。そして、子女であるのなら、神の相続人でもあります。さらに、「キリストと共同の相続人なのである」とも書かれています。
一般的に、相続人は、財産を引き継ぐだけではありません。いわゆる借金、債務も相続しなければならないのです。聖句の中の「相続人」も、自分にとって都合の良いものだけを相続するという意味ではないでしょう。好まないものも含めて全てを受け継ぐ立場として描かれていると思います。
イエス様は弟子から裏切られ、寂しく孤独な立場で十字架に向かわれました。いかなる状況に置かれても天を愛する、その基準も含め、全てを相続する立場にあるのが、天の子女です。信仰の相続、あるいは、父母が持つ使命の相続も同時に考えていかなければならないのが、子女の立場です。
神様の願いは、全人類をサタンから取り戻すこと
信興様と一緒に真のお母様にお会いしたとき、お母様を目の前にして、〝この方を絶対にこのままにしてはいけない。絶対にこの場にいるべき方ではない〟と、私の心は叫びました。
真のお母様は今、世間からは、一人の囚人のように見られています。与えられた服に身を包み、胸には大きな番号が刻まれています。名前ではなく番号で呼ばれ、まるで人格を奪われたかのようです。化粧をしたり、髪を染めたりすることもできず、ただ裁きを待つ惨めな老婆の姿なのです。そのような状況でも、これまでと変わることなく、私たちと向き合っていらっしゃいます。
私は、真のお母様のお姿を拝見しながら、〝ああ、神様がこの方をここに送ることを許されたのだ。いや、許さざるをえなかったのだ〟と感じました。もちろん、私たちの不足さのゆえに、このような事態に陥ったことも理解しています。
サタンが先に真のお母様を拘束して、打ちました。神様は、必ず次の一手を考えていらっしゃるはずです。私はお母様を見詰めながら、〝神様にはきっと、取り戻すべきものがあるのだ〟と感じました。そのように考えざるをえなかったとも言えます。
私は心の中で、神様に向かって「これから何をしようとされているのですか? 真のお母様が拘置所に入られるのを許して、一体、どうされようというのでしょうか?」と尋ねてみました。その瞬間、お母様が、「一つになってくれて、ありがとう」と、言葉を発せられたのです。
真のお母様は、私たち兄弟姉妹が一つになったと喜んでくださいました。それでは、これまで、一つになれていない私たちのようすをごらんになりながら、どのように感じて過ごしていらっしゃったのでしょうか。
神様が、ある摂理の道を行かざるをえないとき、真のお母様はその道を共に歩もうとされます。私は、兄弟姉妹が一つになったと喜ばれるお母様の言葉を耳にして、申し訳なく思うとともに、神様は一つになることを通して何をしようとされているのかを考えました。一つになることが、ゴールではないはずです。では、一つになることで何を取り戻されたいのか、何をなさりたいのだろうかと考えたのです。
その答えは、一つしかありません。全人類をサタンから取り戻す。神様が目指していらっしゃるのは、これです。真の父母が立たれた意味は、サタンによって奪われた愛と生命、血統を神様のもとへ取り戻すことにあります。それを共に果たしていくのが、子女であり、相続人なのです。
私たちは、今、地上で共に生きていらっしゃる真のお母様と一つになった子女として、その使命を相続しなければなりません。六千年を経て立てられた真の父母を通して、全人類を神様のもとに取り戻す。その願いを果たすために、お母様を苦難の道に追いやらざるをえなかった神様でした。私たちは子女として、そのことをしっかりと受け止めていかなければなりません。
拘置所で真のお母様との面会を終えて出てくるときに、ふと、真のお父様が、「先生が死んだら、先生の代わりに誰が神様を見てくれるのか」とおっしゃったことを思い出しました。
その内容に関連する真のお父様のみ言を紹介します。
「まずここに立っている先生以上に、日本を愛しなさい。世界を先生以上に愛しなさい。天の父を先生以上に愛しなさい。もしも、君の傍に先生が倒れた場合、先生の死体をつかんで泣くな。涙を流すな。先生が愛するその天を、誰が愛する? 先生が愛する人類、愛する天宙を、誰が愛する? 誰が責任を持つか。そういう神に対して涙を流す。それが先生の残したい言葉である。日本におる皆さん、この時世の環境におきまして、堕落の道を開拓しなければならない我々、裁かれるその人類を、救わなければならない我々である」(『文鮮明先生の日本語による御言集1』235〜236ページ)
私たちは真の父母様から信仰を相続し、天の祝福を頂きました。聖書に記されていたように、私たちは相続人の立場です。使命も相続しました。そのことを強く自覚し、今こそ、立ち上がらなければなりません。
真のお母様が、〝あなたたちは私の直系である〟とおっしゃるとき、そこには、母として子女を愛するという思いだけでなく、使命の相続という願いも込めて、私たちにその言葉を投げかけていらっしゃるのだと改めて感じています。
私たちが目指すべきみ言の完成実体
第三に、私たちが、子女としての実体を持っているかどうかです。
このことは、使命を相続するときに絶対に問われます。今は、〝本物〟が求められている時代です。世界貢献も大切ですが、それがゴールではありません。精誠を捧げるのも大切ですが、それもゴールではないのです。
私たちが目指すべきなのは、み言の完成実体です。個人としての個性完成基準、家庭的四位基台を完成した基準、万物と完全に一致し、天の摂理を担う主人としての完成基準を追いかけていかなければなりません。
『原理講論』に、「真理の目的は善を成就するところにあり、そしてまた、善の本体はすなわち神であられるがゆえに、この真理によって到達する世界は、あくまでも神を父母として侍り、人々がお互いに兄弟愛に固く結ばれて生きる、そのような世界でなければならないのである」(33ページ)とあります。私たちが目指すのは、神様を父母として侍り、人類が兄弟愛で固く結ばれた世界です。そのような世界になっていないがゆえに、さまざまな現象が起きているのです。
先日、トップガンのメンバー(青年・学生たち)の四十日路程が出発しました。開講式の講話を依頼されたので、十五分間、話をさせていただきました。
この四十日路程は、伝道の勝利を目標にするということでしたので、旧約聖書にある聖句「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(伝道の書一二・1)を改めて読み返しながら講話の内容を考えました。
この一言に、神様の強烈に熱いメッセージが込められています。〝あなたは造られた存在である〟というのは、明確に造った主体がいるということです。私たちは、それを自覚して生きるように願われています。
存在する目的は、造った側にあるのであって、造られた側が、かってに決めることではありません。だから、若いときに早く、造り主を知って、自らがなぜ造られ、何を目指し、どうやって生きるのかを明確にしなければならないのです。
トップガンのメンバーたちを前にして、伝道に向かうときは、自分自身の立ち位置、私は神の子であるという強いアイデンティティーが、私たちを強くする最大・最高の天の武器だと改めて感じました。私たちは神の子であり、永遠に唯一なる真の父母の子女であるというアイデンティティーに確信を持って生きていくのです。
今、私たちは、宗教法人格を未来世代に残す闘いをしています。あらゆる手段を講じて、解散命令請求をめぐる裁判での勝利を目指していますが、たとえ、法人格が残ったとしても、その死守のためにエネルギーが奪われ、核心にあるアイデンティティーを失ってしまったら、何の意味もありません。
どんな立場、どんな状況に置かれたとしても、天のみ旨を果たしていこうとする強い意志力は、〝私は神の子である〟という絶対に揺るぎない信念と確信から生まれます。〝私は真の父母の子女である〟。ここから全てが始まるのです。
私たち祝福家庭は、真の父母の使命を相続しました。このことへの確信さえあれば、いかなる道も切り開いていけると信じて、自らの責任分担に全力で取り組んでいってください。
私が拘置所で真のお母様にお会いしたとき、お母様は信興様に向かって、「信出、信興」とお二人の名前を呼ばれました。お母様にとって、希望は誰でしょうか? 完全に自分と一つになり、使命を共有してくれた信出様、信興様が大きな希望であることは間違いありませんが、私たちもお母様の希望であり、天の使命の相続人です。私たちしか、お母様の夢を果たす者はいません。そのことを自覚して、新しい出発をしていきましょう。厳しい闘いは続きますが、全国の兄弟姉妹が一丸となって乗り越えていくのです。
真のお母様に喜びをお返しできる子女になることを誓って出発する「真の子女の日」となることを心から願っています。ありがとうございました。
