十一月一日(天暦10月1日)、東京・渋谷の松濤本部で、第六十五回「真の子女の日」、第三十七回「天宙統一国開天日」を祝賀する敬礼記念式が行われました。主礼を務めた田中富広会長は、「『真の子女の日』を、自分自身が、真の父母と対するにふさわしい子女なのかを見詰め直す貴い機会にしていきましょう」と呼びかけ、参加者を激励しました。(文責・編集部)
第六十五回「真の子女の日」、第三十七回「天宙統一国開天日」、おめでとうございます。(拍手)
一九六〇年のきょう(天暦10月1日)、「真の子女の日」が宣布されました。
私たちは、この日に向かって四十日路程を歩み、昨日、その路程が終わりました。皆さんにとって、天の導きを感じる、恩恵深い期間となったでしょうか?
この間、私は、真のお母様にお目にかかる機会が何度かありました。お母様と向き合うときはいつも、〝父母の前に、自分はどんな子女なのか〟ということが問われているように感じます。この身に突きつけられるような感覚です。
「真の子女の日」を迎えるに当たり、天の前に祈りを捧げてきました。その中で考えさせられた三つの内容について、皆さんと共有したいと思います。
神様と真の父母様の子女として
ふさわしい実相を備えた者に
一つ目は、「私たちが立つべき、子女としての位相がいかなるものか」ということです。
「家庭教会手帳」では、「真の子女の日」の摂理的意義について、次のように説明しています。
「『(真の)子女の日』は、勝利した真の父母が立たれ、堕落人間がそのお方から祝福を受けて再び生まれることのできる基準が世界的、天宙的に立った日です。すなわち、人類がサタンの血統圏から神の血統圏に転換され、神の子としての入籍を許される手続きが行えるようになった記念すべき日です」
この四十日間、私は、人類の真の父母が立たれたことに改めて感謝し、その恩恵を深くかみ締めました。真の父母が立たれない限り、「真の子女の日」はありませんでした。この日が、真の父母の勝利によって宣布され、私たちが神の子として迎えられるようになったのは、言うまでもないことです。
「父母」と「子女」という言葉は、「対概念」です。子女がいなければ父母ではなく、父母がいなければ子女ではないのです。対概念であるということは、互いに、ふさわしい実体が求められているということです。
父母の喜びは、子女の喜びです。子女の勝利は、父母の勝利でもあります。正に、父母と子女は完全に対であり、一体なのです。
神様は、人間が三大祝福を成就することを通して喜びを得ようとされました。そのために天地創造を始められたのです。子女がりっぱに成長する、幸せな家庭を築く、そのような姿を見たときに、親なる神様は喜ばれます。そして、子女が万物を正しく治めて楽しむ姿を見て、一層、喜びを得ようとされたのです。そこに神様の創造原則がありました。
この喜びが大きければ大きいほど、人間始祖アダムとエバの堕落がもたらした悲しみは大きかったということです。堕落によって喜びは反転し、一八〇度変わってしまいました。いわゆる恨の世界を抱えた「囹圄の神」として、六千年の歴史が刻まれてきたのです。
そのような神様を解放するために、真の父母様の生涯がありました。孝子の伝統を立て、神様が本来いらっしゃるべき父母の位置を取り戻してこられたのです。これが、真のお父様の歩みであり、真のお母様の歩みでした。
その父母が、皆さんにとって、家庭レベルの父母なのか、氏族レベルの父母なのか、国家レベルの父母なのか、世界レベルの父母なのか、天宙レベルの父母なのか。どうでしょうか。
また、神様の位相も、摂理とともに変化してきました。真のお父様が聖和された直後、真のお母様はこのように語られています。
「二千年前、イエス様が神様を『父』として啓示しましたが、そのことによって、ユダヤ人たちから神様を冒瀆したと言われ、十字架の苦難を受けるようになったことを皆様もご存じでしょう。しかし真の父母様はこの地上において実体的に蕩減復帰を完成なさり、神様に本然の創造主、すなわち天と地と人間を主管なさる真の父母としての尊貴と栄光を取り戻してさしあげたのです」(『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2012年11月号10ページ)
神様を父母として、その栄光を取り戻してさしあげることが、神様の息子・娘である真の父母様の生涯の大きな目的であったということです。
私たちは、神の血統を受け継いだ神の子の位置に立つことが許された立場です。内的な対概念として、父母と子女の関係を考えてみると、私たちが父母と向き合う対概念にふさわしい実体であるか、どのレベルの子女になっているか、そのことを改めて問うていかなければならないと感じます。
私たちは、家庭レベル、国家レベル、天宙レベル、いずれの父母の前に立つ子女になっているでしょうか? 真のお母様は、来年四月十三日に神様を父母として地上にお迎えするために摂理の最前線で歩まれています。私たちは、どれほどの思いを持って、その父母の位置にふさわしい子女の実相を備えようとしているでしょうか。そのことに向き合うためにも、お母様と完全に一つになって、天心苑特別祈祷室で熱心に祈っていく必要があるでしょう。
皆さんが、自らが立つべき子女としての位相を明確にし、挑戦しようとする決意の日として、きょうを過ごしていただければ幸いです。
核心的な父母の許しの領域、
核心的な父母の愛の領域に向き合う
二つ目は、「天の父母様(神様)の六千年に及ぶ愛の執念」です。
神様は人類の親であり、絶対に諦めないお方です。最後の一人まで、全ての子女を取り戻そうとされています。
聖書には、九十九匹と一匹の羊の話(マタイ一八・10〜14)や、放蕩息子を取り戻す話(ルカ一五・11〜32)もあります。最後の一人を取り戻すまで、神様の愛の執念は絶対に消えないということを、私は日々、感じています。そして、真のお母様とお会いすると、その波動をより強く感じさせられるのです。
最近、私たちの大先輩、金孝律先生(777双)の自叙伝を読みました。その中に、一九九一年十一月三十日、真の父母様が北朝鮮に向かっていかれたときの、さまざまな逸話が記されていました。
訪朝に当たり、金達玄・政務院副総理、尹基福・朝鮮海外同胞援護委員会委員長から招請状を受け取ったそうです。しかし、金日成主席との面会については一切、触れられていませんでした。
随行員たちは〝このような状況でも北に向かうべきなのだろうか〟と葛藤し、緊張感を漂わせていたそうです。北に向かう直前の一週間、真の父母様がハワイで精誠条件を立てて備えていらっしゃる中でも、金孝律先生は、葛藤を抱えたままだったと打ち明けています。
そのとき、真のお父様は訪朝することについて、このようにおっしゃったそうです。
「怨讐の息子に会いに行く道、世話になるために行くのではなく、最高のものを与えるために行くのだ」(金孝律著『侍りの恵み 真の父母様と過ごした日々』天苑社、54ページ)
随行員たちは皆、真のお父様の強い愛の執念に引き込まれていきました。金日成主席と会えるかどうかに意識が奪われないようになり、勇気を持って北に向かっていくことができたということでした。北朝鮮への訪問は、正に、父母の愛と許しがみなぎる天の摂理だったのです。
真のお母様の自叙伝には、このように記されています。
「北朝鮮に行く前に、心の片隅に残っていたしこりをすべてほぐさなければならなかったのです。四十年以上前から、私たちを迫害してきた金日成主席を許さなければなりませんでした。
自分を殺そうとした怨讐としてのみ相手を考えてしまえば、許すことはできないでしょう。しかし、父母の立場、母の心情に立てば、許すことができるのです。……それが本然の父母の心です。私はそのような父母の愛をもって、怨讐を許そうと決意しました。北朝鮮から無事に帰ってこられるようにしてほしい、という祈りはしませんでした」(『人類の涙をぬぐう平和の母』228ページ)
このように、復帰の道において、父母が持っている武器はただ一つです。許ししかありません。それは、真のお母様と向き合っていても感じます。何があっても最後は許すしかないお母様。そして、悔い改め、立ち上がり、新しく出発する子女を待ち望まれるお母様。その姿からは、〝神様の辞書に「怨讐」という文字は残さない。全てを許し、一人残らず取り戻すのだ〟という父母の愛の執念が伝わってくるのです。
父母は、このように何度でも許してくださいますが、それに甘えてはいけないということは、言うまでもありません。以前にもお話ししましたが、この許しについて、正しく理解し、受け止めなければ、正しく父母の前に立つことのできる子女にはなれないと思うのです。
きょうは、許しへの理解を深めるため、聖書も読んでみたいと思います。
「さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、『子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ』と言われた。すると、ある律法学者たちが心の中で言った、『この人は神を汚している』。イエスは彼らの考えを見抜いて、『なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために』と言い、中風の者にむかって、『起きよ、床を取りあげて家に帰れ』と言われた。すると彼は起きあがり、家に帰って行った。群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた」(マタイ九・1〜8)
律法学者や民たちは、中風の者が立ち上がる奇跡を通して、神の権威を目の当たりにしました。イエス様は、そのようにしてしか、神の権威を感じられない人々のために、あえて奇跡を起こされたのです。しかし、本当の神の権威は、奇跡にあったのではなく、許しの権威、父母の愛の権威にありました。
この聖句は私たちに、子女は本来、父母の許しと愛の世界を、どの程度まで理解し、悟るべきなのかを分からせてくれます。私たち一人一人が、子女として、核心的な父母の許しの領域、核心的な父母の愛の領域に、改めて向き合っていかなければならないと思います。
ここにも、毎日、天心苑特別徹夜精誠に参加している方がいると思います。病気が治った、家庭の問題が解決したなど、たくさんの奇跡的な証しを耳にしていることでしょう。
私たちは、それらの証しを通して、偉大なる神の御力を実感していますが、奇跡を体験することが私たちのゴールではないということを自覚しておかなければなりません。その背後にある、いかなる子女も絶対に取り戻すという、神様の深い愛と許しの世界を体恤する必要があるのです。それを自らのゴールとして定め、精誠を尽くし続けましょう。
天心苑には、真のお母様の限りない愛が注がれています。お母様は、私たちが真のお父様と出会うことができるように天心苑を準備してくださいました。天心苑は、お父様の地上の執務室です。私たちの霊性の啓発の場、霊的役事の本殿、そして、教育の本殿なのです。
私は、天心苑特別徹夜精誠を通して、二世圏が教育されているのを見て、〝ああ、こうやって天の摂理は進められていくんだなあ〟と確信を深めています。そして、自らが、天心苑の向こうに父母の愛と許しを見ることができる子女でありたいと、毎日、感じています。
来年四月に特別恩赦が与えられることは、すでに発表されました。全祝福家庭、全食口を対象とする特別恩赦は、決して軽いものではありません。
神様を地上に父母としてお迎えし、長い人類歴史において見ることができなかった、全く新しい時代が始まります。そのため、既存の音楽ではない、新しい音楽も準備されています。さらに、韓民族選民大叙事詩を全世界に伝えるため、新たな聖画も制作されているのです。
真のお母様は、〝新しい視点から韓国選民史を見詰め直し、新しい文化にふさわしい食口、祝福家庭になってほしい〟という願いを込めて、早い段階で、特別恩赦があることを宣布されました。私たちはそのことを理解し、恩赦の向こうにある天の愛と天の許しに向き合える子女となれるように、しっかり取り組んでいかなければならないのです。
私たちの実体で、真の父母を証しし、
家庭連合の真実の姿を伝える
三つ目は、「天の父母様の血統に立つ子女としての責任」についてです。先ほど述べたように、父母と子女は対概念です。したがって、どんなに父母が偉大であっても、父母の最終勝利は、子女が勝利するかどうかにかかってきます。〝父母の夢は、子女が果たしてあげるものである〟。これも真理だと思います。
先日、文姸娥様とお会いしたときのことです。姸娥様が私にこのように語られました。
「お母様が、ご自身が独り娘であると宣布されて以降、多くの困難がありました。真のご家庭の中にも難しい問題が生じたのです。私は当初、お母様がこのことを口になさらなければ、どんなに安泰だっただろうかと思いました。私とお母様との距離は本当に遠かったのです。
お母様は命を懸けて、独り娘の宣布をなさっています。その目的はただ一つ。神様を父母としてこの地上にお迎えするためです。天の父だけではだめなのです。人類が天の母としっかり向き合っていかなければ、神様が父母になることはできません。この父母を取り戻すために、お母様は誤解を受けることをいとわず、取り組んでこられたのです」
また、真のお母様は、私にこのように訴えられました。
「田中! 日本はどんなにあがいても道はないよ。日本が生きる道は、私と一つになるしかありません。父母によらずして、平和は絶対に訪れません。日本がもし、平和な国を目指すのであれば、私と一つになることです。天運を引きつけたいのなら、私と一つにならなくてはなりません」
私は、「イェー(はい)」とお答えし、真のお母様の波動を全て受け止めていこうと向き合いました。すると、お母様は、「私がなぜ、日本の指導者たちに韓民族の選民大叙事詩を教育したいと思うのか、分かるの?」とお尋ねになりました。
私が返答に窮していると、真のお母様は続けて、「私は南北統一に向かって日本に協力してほしいと思っています。ただし、日本が、韓民族の選民史の中で、どのような関わり方をしたのか、はっきり自覚したうえで、関わらなければなりません。韓民族の歴史を見詰めれば、日本は天に負債があります。そのことをしっかりと自覚してください。それについても、超えうる道は、私と一つになることです」と語られました。
それでは、日本国民をどのように教育していけばいいのでしょうか? 私たちの実体をもって、真の父母を証しし、家庭連合の真実の姿を伝えていくのです。このことは、私たちに課せられた、日本を天に連結する重要な使命です。
二週間ほど前、以前に韓国家庭連合の広報担当を務めていた安豪烈氏の証しを聞きました。広報担当に任命された当時、真のお父様に、広報をどのように進めていけばいいのか、お尋ねしたところ、お父様は「おまえの生涯が、おまえの生活が、広報だ」とおっしゃったそうです。天の父母を背負う子女としての実体が、広報なのだということです。
日本家庭連合は、今もなお、社会から厳しい目を向けられています。解散命令請求に関しては裁判闘争に入りました。これらの状況を好転させる環境をつくることができるのは、私たちの実体です。真のお母様が、〝食口は天の宝であり、天の武器なのだ〟と強調されるように、私たちの実体を通して、一人でも多くの方に家庭連合の真実の姿を伝えていきましょう。
私たちを支援してくださっている多くのVIPは、食口の実体に触れて、ますます力を得ていらっしゃいます。メディアの報道とあまりにも違う食口の実相を見て、支援の正当性に確信を深めておられるのです。
人々の心に感化を与える波紋を
起こす私たちになりましょう
金孝律先生の自叙伝の中で印象に残った場面を、もう一つ紹介します。
一九八四年七月二十日、真のお父様は、米国のダンベリー刑務所に収監されました。金孝律先生がダンベリー刑務所でお父様と面会し、多くの牧師が同苦の会を立ち上げ、信教の自由のために闘っていることをご報告すると、お父様はこのような内容を語られたといいます。
「深い川に石を投げると、石は瞬く間に沈んで見えなくなるが、水面の波紋は広がっていく。沈んだ石は永遠に消えたわけではない。川の底に厳然として存在しているのだ。私はこうして社会の底辺である刑務所に座っているが、私によって起こった波紋は今や何十万、何百万のキリスト教徒たち、そして良心ある者たちの胸から胸へと広がっていくのだ」(『侍りの恵み 真の父母様と過ごした日々』163~164ページ)
波紋の中心で厳然と生き続けることができる石。私たちは、そのような実体になっていかなければなりません。人々の心に感化を与える波紋を起こし、その中心に立つことのできる私自身になりたいと強く感じます。
私たちの目の前には、実体の真のお母様がいらっしゃいます。いま一度、人類の真の父母の前で子女として立つとき、どのレベルの父母として対しているのか、自らに問いかけてみてください。家庭レベルの父母、国家レベルの父母、天宙レベルの父母、皆さんは、お母様をどのように見詰めていますか?
「真の子女の日」を祝う一日を迎えました。この日を、自分自身が、真の父母と対するにふさわしい子女なのかを見詰め直す貴い機会にしていきましょう。
本年も残り二か月となりました。真のお母様は、来年四月十三日に挙行される天苑宮・天一聖殿入宮式の一点に焦点を定め、一日を千年のごとき心情で歩んでいらっしゃいます。
祈りを通して私たちの心を真のお母様の思いにつなぎ合わせていきましょう。そして、子女としてふさわしい歩みをなすことを決意し、出発する、この場となるよう心から願います。