十月十五日、尾瀬霊園(群馬県利根郡片品村)で、第四十一回「神日本聖和祝祭」が行われました。主礼を務めた田中富広会長は、記念説教の中で、家庭連合の永生観について語り、「聖和された方々に語りかけながら日常を過ごし、その方々の思いを胸に秘め、共に天の願いを果たしていけるよう努力してまいりましょう」と呼びかけました。(文責・編集部)
訓読のみ言
一般の人々は、死ねばすべてなくなると考えますが、そうではありません。霊界があるので、そのまま続くのです。霊界に行くためには、地上で準備をしなければなりません。霊界に行けば愛で呼吸するので、地上で愛を中心として生活してこそ、そこでも自由に呼吸できます。地上で愛を中心として生活しなければ、そこで自由に呼吸できません。霊界は、愛を呼吸する世界です。愛の空気のような世界だと考えればいいのです。第二の新しい出発を「死」というのです。ですから、そのように恐れる必要はありません。死は、新しい出発の門を開くことです。(天一国経典『天聖経』708ページ)
日本の食口、祝福家庭のことを
絶対的に信頼してくださるお母様
この場に集われた皆様、インターネット中継を通して参加されている全国の教会員の皆様、おはようございます。皆様と共に、聖和された懐かしい諸先輩やご家族に思いをはせながら貴い時間を過ごせることに心から感謝申し上げます。
家庭連合に対する解散命令が裁判所に請求されました。初めに、その件に関して触れておこうと思います。
先日、米国・ラスベガスを訪れ、真のお母様と親しく交わる時間を持たせていただきました。お母様は、家庭連合を迫害するのは神を迫害することであり、神が勝利を確信しているのだから堂々と行くようにと激励してくださいました。
昨日も、韓国にいらっしゃる真のお母様からみ言を頂きました。「田中富広!あなたを絶対に信頼するので、堂々と進んでいくのですよ」。私個人にというよりは、日本の全ての食口、祝福家庭に対する思い、厚い信頼を、簡潔な一言に込められたのだと思います。(拍手)
全国の兄弟姉妹から、政府に解散命令の請求をしないよう求める嘆願書が多数寄せられました。用紙一枚一枚には、天の父母様(神様)を愛し、真の父母様を慕う兄弟姉妹たちの思いがあふれていました。み旨を誇り愛する彼らの熱い志がほとばしり、宝のように輝く言葉が散りばめられていたのです。その一言一言に心を寄り添わせていると、涙をこらえることはできませんでした。
あるメディアの記者はこのように言いました。「五万三千名。ネットも含めれば八万名の嘆願は、単なる署名ではなかったのですね。一人一人が思いを込め、切実に訴えていらっしゃることがよく分かりました」。兄弟姉妹の思いが束ねられた嘆願書には力があると確信します。そのうねりに合わせて、世界中の食口やVIPの皆様から、今もなお、多くの書信が届き続けています。
真のお母様は食口たちのことを、「宝であり、天の武器です」と語られます。マスコミ報道によって引き起こされてきた〝空爆の嵐〟の中にあっても、天の父母様、真の父母様を慕い、揺るぎない信仰を持って歩む兄弟姉妹の姿は、天にとって希望の実体であることは間違いありません。深い感動と大きな力を与え続けているのです。
本日、第四十一回「神日本聖和祝祭」は雨の中での開催となりました。きょうの雨は、天の涙とも捉えられますが、決して絶望の涙ではありません。未来への希望を抱き、強い決意を込めながら、新しい出発を見詰めていらっしゃる天の姿なのだと思います。
家庭連合が解散させるべき宗教団体なのかどうかの判断は、大衆の言葉に振り回される、ビジョンなき指揮官によってなされるのではなく、公正な法に基づいて行われるべきです。これから私たちは、司法の場で本当の闘いをスタートします。今こそ、私たちの力を発揮する時です。全国の兄弟姉妹の皆様。真のお母様と一つになって、いかなる困難も乗り越えてまいりましょう!(拍手)
永生への確信は、不安や恐れを
打ち消し、人生に希望を与える
家庭連合のブランドの一つに死生観があります。家庭連合では人の死を「聖和」と呼び、死をただの悲しみや苦痛として捉えるのではなく、喜びの場として迎えます。
訓読のみ言にあるように、死は「第二の新しい出発」です。地上での栄光の歩みを称えて帰歓式、聖和式を行い、聖和者が天の父母様のもとに送られたら終わりというのではありません。聖和者は天上で新しく歩み始め、地上に生きる私たちは、彼らを家族として、同志として迎えて、共に天の願いの成就に向かって生きていくのです。
私たちは、霊界が存在し、人間が永生するということに確信を持っています。だからこそ、未来に対する不安や恐れがなく、大きな希望を抱いて人生を営んでいくことができるのです。
私たちは自らの意思で生まれてきたのではありません。神のみ意によってこの世に生を受けました。それならば、生命を与えてくださった御方の思い、願い、心情に沿って地上生活を送るとき、私たちの価値が最も発揮されるのではないでしょうか。
真のお母様の自叙伝に、海外宣教の任地で投獄された宣教師から、真の父母様に宛てて送られた手紙の抜粋が記されています。
「地上での最後の瞬間が近づいてきています。この世で差し上げる最後の御挨拶です。天上でお目にかかります。どうかいつまでもお元気でいてください」(『人類の涙をぬぐう平和の母』140ページ)
真の父母様に一度もお目にかかったことのない宣教師が牢獄の中でしたためた手紙です。永生という価値観があるからこそ、生み出された文面だと思います。この手紙は私に、天の父母様と真の父母様、そして愛する人々と霊界で永遠に共に生きられることを確信し、今この瞬間を、生命を与えてくださった天の父母様の前に生き切ることが、どれほど価値のあることなのかを教えてくれました。
永遠に一緒にいたいという心情を
地上生活で培う
真の父母様は、霊界で問われるのは、地上でどれだけ愛を育んできたかであると繰り返し語られました。霊界での価値は愛によって測られます。霊界は、地上で愛の感性を磨いてから行き、永遠に愛の呼吸をして生きる所なのです。
私は、天寶家庭として初めて聖和された夫人(1800家庭)の聖和式で主礼を務めました。その際、ご主人から聞いた証しが、私の人生観に大きな影響を与えました。
ご主人は長い間、海外で宣教活動をしてきました。そして、南米・レダで奉仕活動をしていたときに、日本にいた奥様が病に倒れ、余命は半年であると連絡を受けたのです。奥様は、「帰ってこられないようなら、一人で霊界に行くから心配しないでね」とおっしゃったそうです。ご主人はすぐに帰国しました。
奥様は、病院での療養を拒み、自宅で家族と共に、もっと言えば、長らく離れて暮らしていたご主人と一緒に余命を過ごしたいと訴えられたといいます。人生の最後をそのように過ごし、半年後に聖和されました。
生前、奥様はご主人に、「私たちは、お互いにりんごの半分だよね。二つを合わせたら、きれいなりんごの形になるのよ」と語りかけたそうです。口癖のようだったと伺いました。
いよいよ余命が尽きるというとき、ご主人が「僕たちは、お互いにりんごの半分だよね」と言うと、奥様はうんうんとうなずき、「あなたが霊界に来たら、私を探してね」とおっしゃったそうです。夫婦として、これほど素晴らしい愛の告白はないのではないでしょうか。「永遠にあなたと一緒にいたい」という思いにあふれた奥様ですから、ご主人が霊界に行ったときに、わざわざ探さなくても、自らご主人の胸に飛び込んでこられるに違いありません。
夫婦は、永遠に一緒にいたいという心情を地上生活で培わなければなりません。霊界に行けば何とかなるということではないのです。この証しを聞いて、そのことを強く肝に銘じた私は、妻に対する心境に変化が生じました。それが妻に伝わったのか、最近、妻が公的な場に同席することが多くなったように感じるのです。「会長、奥様がいらっしゃったんですね」と冗談交じりに声をかけられたこともあります。(笑い)
私たちは愛を呼吸しながら永生します。この永生観をしっかりと持ち、地上生活であらん限りの思いを投入しましょう。聖和された方々に語りかけながら日常を過ごし、その方々の思いを胸に秘め、共に天の願いを果たしていけるよう努力してまいりましょう。
きょうは、私たちだけでなく、霊人の皆さんも訪ねてきて、共に過ごしていらっしゃると思います。心を一つにしてこの日を祝い、新たなる決意を固める貴い時間となるよう願います。